なんでもアリならプラナリアもでんな

名前や所属は論文に載っているので割愛するとして、”私”について少し紹介をしておきたく思います。

私は、ひょんなことから10年ほどニンジンを食べることを拒否してきました。 もちろん自分では買いませんし、ひじきに入っているほとんど味のしないようなものも箸で器用により分けていました。

周囲は私のことをよほどのニンジン嫌いと思っていたでしょう。でもほんとうは思春期の込み入った事情でそのような振る舞いをしていたのですが、その事情を説明することも、また、思春期の込み入った事情でできなかったのです。

つまり何が言いたいかというと、だれかが何かを好きであるとか、嫌いであるとかは、その人の行動からは正しく判断できないことが多いということです。

前置きはこのくらいにして。そんな私が今回お話しするのは、プラナリアという小さな生き物の選好性に関する研究です。

導入

すみっこにいると落ち着く

すみっこにいると落ち着きますよね。これ、私だけではないと思います。壁にもたれかかっていると何となく安心しますし、席替えでもすみっこの席が人気なのではないでしょうか。

人以外に目を向けてみても、ゴキブリや、カメムシ、ハムスターなんかもだいたいすみっこにいることが多そうです。生き物はみんなすみっこが好きなのでしょうか?

プラナリアもすみっこが好き?

今はどうかわかりませんが、少なくともかつては教科書にも載っていて、テレビでもたまに取り上げられる、プラナリア。ご存知の方も多いのではないかと思います。

どのような印象をお持ちでしょうか?不死身だとか、切ったら増えるとか、カワイイとか、キモイとか、いろいろなご意見があると思います。

ただここは一つ、プラナリアがカワイイとして。カワイイプラナリアがいたとして。きっとずっと眺めていたくなると思います。

でも石なんかが入っているとあっという間に隙間に這い入って見えなくなってしまう。そんな時は、タッパーのようなものをよく水で洗って使うとよいです。カルキは抜いてくださいね。

どうでしょう?よく眺めていると、プラナリアもすみっこによくいることがわかります。

真ん中に置いても、いつの間にか端の方に寄ってきます。プラナリアも我々と同じようにすみっこが好きなのでしょうか?

プラナリアはすみっこに集まる

研究背景

なぜプラナリアなのか

なぜプラナリアなのか。ショウジョウバエとかマウスとか、モデル生物は他にもいろいろあります。ゲノムも読めているし、先行研究もたくさんあって、遺伝子操作の技術も発達していて、なんだか素敵な雰囲気です。

百歩譲ってプラナリアやるなら再生。単純な生き物選ぶなら線虫やろ。ご意見ごもっともです。国際プラナリア学会というのが、私が学生時代、香港で慎ましやかに行われたのですが、世界中から学会に集まったのは、たったの数十人でした。

それでも、此処は敢えてプラナリアで行動をやってみたい。理由をいくつか挙げてみます。

1.クローンを作るのが楽。

切れば増えるので。何回か切るだけで指数関数的に増えていき、簡単に均質な集団が出来上がります。切るのが忍びなければ、エサをやって、ほうっておいてもいい。これもまた指数関数的に増えます。

2.動きが二次元で再現性が高い。

完全に二次元ではないですが、基本的に底を這うように動くので二次元で近似できます。また、生物学ではちょっとした条件の違いで結果が再現できなくなったりするのですが、プラナリアの隅っこに対する選好性についてはかなり高い再現性(何度やっても同じ結果になること)があります。

3.わかっていないことがたくさんある!

まだわかっていないことが、たくさんあるんです。ショウジョウバエやマウスはすでにかなり研究が進んでいます。

マウスの病気って、もう大概どんなものでも治せるんじゃないかっていうくらい。いろいろわかっているんじゃないでしょうか。(ちょっと盛ったかもしれません。)

私は小さいころから生物が好きで、よく図鑑を読んだりしていました。不思議な模様をした蝶や、無駄に寒さに耐えるペンギン、カエルから毒を得るヘビ。

生き物の不思議さというか、面白さというものは、幼い私にとっては、進化や多様性に根差したものであったと感じます。

そのような手つかずの不思議に触れてみたい。長い人生なので。人生百年らしいので。少し寄り道してみるのもありかなと思います。

プラナリアの選好性についての先行研究

1.光から逃げる

光から逃げます。一対の眼があって、光を当てるとほぼ間違いなく逃げます。

2.機械刺激を避ける

機械刺激を避けます。機械刺激とは何かというと、物理的な接触刺激のことで、こそばいとか、殴られて痛いとか、そういった類のことです。名前ほど難しくありません。

プラナリアの実験系では、実験用のコンテナの底が滑らかな部分と、荒い部分を作って選好性を試験しています。頭部切断個体において機械刺激に対する選好性が失われることから、これも脳による情報処理であることが示唆されています。

3.匂いに誘引される

エサの匂いに誘引されます。エサの近くに来ると咽頭と呼ばれる摂食のための器官を伸ばします。

4.温度の低い場所に誘引される

温度の低い方向に誘引されます。寒いところで動きが鈍って止まっているだけでは?と思われる方もいるかもしれませんが、温度感受性に関わる遺伝子の発現を抑制すると、選好性が失われることから、刺激に対する反応であることがわかっています。

既知の選好性の組み合わせですみっこに対する選好性を説明できない

さて、視覚、嗅覚、触覚、温度覚、と出てきましたがこれらの組み合わせですみっこに対する選好性を説明できるでしょうか。

まず、プラナリアは光に対して感受性がありますが、明暗がわかる程度で、すみっこを認識することはできません。すみっこの匂いに寄っていくのは難しいでしょうし、すみっこだけ温度がいつも低いというのも腑に落ちません。また、プラナリアに聴覚があったとすると、超音波によるエコーロケーションという説も考えられますが、そのような器官は今のところ見つかっていません。

となると、すみっこがやや薄暗くなっていて光から逃げていくうちにそこに集まる。或いは、すみっこにいると身体に触れる面積が大きくなるのでそこに集まるというのもありそうです。どのようにプラナリアはすみっこに集まるのでしょうか。ひとつづつ検証してみましょう。

暗闇でもすみっこに集まる

”すみっこがやや薄暗くなっていて光から逃げていくうちにそこに集まる” という仮説はどのようにすれば検証できるでしょうか。素朴に考えると、真っ暗闇でプラナリアの行動を見てみたくなります。

やってみるとわかりますが、真っ暗な箱の中にプラナリアを散りばめてしばらく置くと、明らかに壁際に寄っているのがわかります。

頭部を切除してもすみっこにあつまる

”すみっこにいると身体に触れる面積が大きくなるのでそこに集まる ”。これは少し検証が難しそうです。どうするかというと、少し残虐に聞こえるかもしれませんが、頭を切り落としてみます。

前述の通り、頭を落とすと、機械刺激に対する選好性は失われますが、すみっこに対する選好性は失われません。なのでこの説も違いそうです。

プラナリアはなぜすみっこに集まるのか

やったこと

よく観察する

よく観察します。じっと見ていると、プラナリアは基本的にまっすぐ底を這っていて、ときどき頭部を左右に振っていることがわかります。まっすぐ進む→頭部を振る→まっすぐ進む。

はい。この繰り返しを定量化したくなりますよね。どのようなパラメータが必要でしょうか。私は、頭部を振る角度、頭部を振る頻度を計測しました。

もちろん一定ではないので、統計的処理が必要となるのですが、この辺りの細かい話は割愛して、頭部を振る角度、頭部を振る頻度がわかったとします。そうすると、オープンスペースでのプラナリアの自発的な動きを再現することが出来ます。

次に、すみっこでの行動が気になります。壁に到達したプラナリアは、壁に跳ね返ることなく壁に沿って向きを変えて壁沿いを進んでいきます。また、壁際を進むプラナリアは時折頭部を振り、壁から離れていくことも観察されました。

仮説を立てる

上記の観察結果から、以下のような仮説を立てました。

1.プラナリアは基本的にまっすぐ進むので、容器に入れるとすぐにすみっこに行き着く。

2.プラナリアはすみっこに行き着くと壁に阻まれて進行方向を変えるので壁沿いを進む。

3.壁沿いを進むプラナリアは基本的にまっすぐ進むので、すみっこにいることが多い。

つまり、感覚器による外部刺激の知覚や脳による情報処理とは関係なく、ただ、その自発的な運動パターンの結果、すみっこが好きなように見えるのではないかという仮説です。

実験する

どのようにこの仮説を検証すべきでしょうか。上の仮説をよく検討してみると、プラナリアがすみっこにいるのは、まっすぐな壁に並行に動き出したとたんにそのまっすぐな動きのために、ずっとすみっこにいるように見える、というものでした。

この仮説が正しいとすると、プラナリアが集まらないすみっこも作り出せそうです。どのようにやるかというと、すぐに思い浮かぶのはまっすぐでない壁を作る、という案です。

実際に実験に用いたのは、ドーナツ型をした容器ですが、他にもいろいろ考えられると思います。

このドーナツ型の容器では、外側の壁はプラナリアに対して凹、内側の壁は凸になっています。先ほどの仮説では、プラナリアは壁にあたると向きを変え、まっすぐに進みます。すると、外側の壁には随時動きを矯正され、壁から逃れられません。しかし、自身に対して凸の壁からはまっすぐ進むと自然に離脱するので、内側の壁にはトラップされないことが予測されます。

仮説の概念図

実際にやってみると、確かに外側の壁ばかりにへばりついていて、内側の壁には集まらないことがわかります。簡単にできるので是非やってみてください。

考察

上記の実験結果から、一見すると、意思を感じるようなプラナリアのすみっこに対する選好性は、その自律的な運動パターンによって説明できることがわかりました。単純に説明できる現象を、意思などというよくわからないものを持ち出して複雑に解釈すべきでないとする、西洋自然科学の指針 (”オッカムの剃刀”といいます。 )に従えば、プラナリアはただ機械のようにパターンに則って動いているだけということになります。

もちろん、プラナリアのような単純な動物と、人間は違うのだと割り切ることもできます。下等生物であるプラナリアはその動きの特性から否応なしにすみっこに追いやられ、神の子たる人類はその自由意思において、自ら選び取ってすみっこに集まるのだ、という主張です。

では、ゴキブリやカメムシ、ハムスターはどうでしょう。彼らもすみっこが好きに見えます。彼らに意思はあるのでしょうか。いつの日か科学が進歩した未来に、人間の行動が、いくつかの単純な運動パターンによって説明できる日が来ないとも限りません。

それでもやはり、プラナリアはすみっこが好きなわけではない、と言い切れるでしょうか。

終わりに

”私”とはなんでしょうか。”我思うゆえに我あり”と昔の偉い人が言いました。これは、主観的な自己の存在証明です。私の存在に疑問を持った私が存在しなければ私の存在に対する疑問も存在しない。だから我あり。

でもこれが通用するのは自分のみ、友人はおろか家族にすら認めてはもらえません。 私のような承認欲求強めのSNS世代としては、他者から、客観的に、”あなたは存在するんだよ”、と言ってもらわなければ、早晩、我を失ってしまうに違いないのです。

”私”は確かに存在するのに、誰にも見つけてもらうことはできないのでしょうか?あるいは。あるものがそこに確かに存在するとして、それが、見えず、聞こえず、匂わず、触れることも能わず、いかなる検出器をもってしても検知できないとき、それは本当に存在すると言えるのでしょうか?

論文:

https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0142214

英語ですが難しいことは書いてないです。

プラナリアの行動の研究者:

井上 武先生
学習院大学理学部生命科学科
E-mail: takeshi.inoue(at mark)gakushuin.ac.jp

プラナリアの行動に興味のある方は(at mark)を@に変えて連絡をしてみるとなにかの扉が開くと思います。

タイトルについて:

本文とは関係ないです。ふと降りてきたフレーズが絶妙だったのでタイトルとしました。ものすごく暇なときに思い出して、絶妙具合を感じてもらえればと思います。