初めまして、大阪大学経済学研究科 博士後期課程2年の浅川慎介です。研究分野は労働経済学・教育の経済学・計量経済学で、主に国や大学で収集したデータを使って児童手当の政策効果の検証を行っています。
皆さんの中にはタイトルを見て、
経済学なのに少子化?
そう思った人もいることでしょう。
恐らく、多くの人が「経済学」と聞くと、株価などのお金の話や、物の売り買いの話、最近ではTPPなどの国際貿易の話などを思い浮かべると思います。
どれも正解です。ですが、これらのトピックには実は共通点があります。
それは、会社のために、欲しいものを買うために、そして家族を養うために「働いている人がいる」ということです。
働くためには、その前にきちんと学校で勉強しなければなりません。学校で勉強するためには、そもそも親から生まれて来なければいけません。
つまり、子どもを産むこと・勉強すること・働くことはそれぞれ密接に繋がっているのです。
この記事では、出産から労働までの時の流れの中に潜む、様々な「なぜ」を紐解きながら、児童手当は本当に出生率を高めるのかを明らかにしていきます。
もちろん数式は出てきませんので、数学があまり得意じゃない人も安心して読み進めていってくださいね。
なお、この記事は「文理選択に悩む中学生」「学部選択に悩む高校生」「専攻選択に悩む大学生」など、色々な読者を想定して書いています。そのため、皆さんの中には少し難しいと感じる人もいるかも知れません。
そのため、「ここをもう少し深く聞いてみたいな」や「僕/私はこう思いました」など、質問や感想があれば気軽に以下のアドレスにメールしてくださいね。
shinsuke.asakawa[at]gmail.com (at を @ に変えて下さい)
時間の流れを遡ってみよう: 労働→教育→出産の順に
所得と学歴って関係あるの?
まずは「働くこと」と「勉強すること」の関係を考えていきましょう。
皆さんの中には良い大学に入り、将来の選択肢を広げるために、勉強を頑張っている人も少なくないと思います。
その一方で、中学校や高等学校を卒業した後、すぐに就職する人もいます。
学歴や賃金は高ければ高いほど良いことだと考えていた当時の私は、後者のことを単に努力が足りないだけだと考えていました。
そんな中、労働経済学の授業で人にはそれぞれベストな労働時間があり、それを超えると他のことに時間を使う方が幸せになるという考え方を学びました。[1]
この概念は私に衝撃を与えました。
ですが、いきなり「就職」や「働き方」と言われても、あまりイメージが湧かないですよね。
まずは、皆さんにとって身近な「アルバイト」の例で考えてみましょう。
Aさんは大学進学を目指して日々勉強に励む高校生です。
両親も大学進学の夢に向けて塾に通わせてくれたり、参考書を買ってくれたりして応援してくれています。
ですが、Aさんには1つ不満があります。それは両親がお小遣いを一切くれないことです。
友だちとスイーツを食べに行ったり、カラオケに行きたいと思ってもお金がないのでいけません。両親に不満をいうと「遊びに使うお金はアルバイトでもして自分で稼ぎなさい」と言われてしまいました。
そこで、Aさんは学校終わりの時間を使ってアルバイトを始めました。
・・・数ヶ月後。
Aさんはアルバイト代を使って気軽に友達と遊べるようになりました。
ですが、アルバイトを入れるとその日はクタクタで勉強が手につきません。最近では、定期テストの順位も少し下がってしまいました。
この前の面談では、担任の先生にこのままだと第一志望のB大学は難しいかも知れないと言われました。
ここで、Aさんは考えました。
「アルバイトの時間を少し減らして、勉強時間を増やそうかな‥‥」
皆さんの中にも、似たような経験をした人がいるのではないでしょうか?
確かに、たくさんアルバイトをすることによって、生活費を賄うことができたり、気兼ねせずに友達と遊んだり、趣味に没頭したりすることができます。
つまり、アルバイトをすることで「現在の満足度」は高くなります。
一方で、アルバイトをすると勉強する時間は減ってしまいます。勉強時間が減ってしまうと、志望校の変更を余儀なくされるかも知れません。
つまり、アルバイトをすることで合格という「将来の満足度」が下がる可能性が高くなってしまうのです。
もちろん、アルバイトは大学に合格すれば存分にできます。
したがって、今、皆さんがアルバイトをするということは、合格という「将来の満足」と引き換えに、目の前の消費という「現在の満足」を「前借り」しているということなのです。
それでも、生活費や自分の趣味・遊びのために働く人もいれば、働く時間を抑えて勉強に精を出す人もいます。
つまり、皆さんは自分の学力や志望校合格までの距離、そして自分の家庭環境を踏まえた上で「働く時間」と「勉強する時間」を「選んでいる」のです。
それと同じことが所得(働くこと)と学歴(勉強すること)の間でも言えます。
一般に、学歴が高い方が給料や福利厚生が良い仕事につき、所得が高くなる傾向があります。[2, 3]
その反面、所得が高い人は社会から多くのことを求められるため、残業や職場の付き合いなどで自分の時間が犠牲となることも少なくありません。
一方で、全ての社会人が高い所得を望んでいる訳ではありません。中には、高い所得より趣味や家庭など余暇の時間を大事にしたいと考える人もいるでしょう。
「高い所得」と「余暇の時間」を天秤にかけた時、高い所得に魅力を感じない人にとって、高い学歴はコストに見合わない不採算な教育投資なのです。
では、将来的に「高い所得」を望むすべての人が「高い学歴」を選んでいるのでしょうか?
裏を返すと「高い学歴」を選ばない人は将来的に「高い所得」を望まない人なのでしょうか?
これから詳しく説明していきます。
学歴はどうやって決まるの?
十人十色という言葉があるように、皆さんの中には勉強が得意な人もいれば、少し苦手な人もいることでしょう。
世の中には「能力」や「才能」と呼ばれる、特定の分野における適性を持って生まれてくる人が稀にいます。
ですが、いくら「能力」があっても「努力」をしなければ良い大学に入ることはできません。
つまり、将来的に「高い所得」を望むのであれば勉強が不得意な人でも「能力」がある人以上に「努力」をすることで「能力」のある人と同じ大学に入ることが可能になるのです。
では、自分の「能力」に加えて「努力」をすることで将来的に「高い所得」を望む全ての人が「高い学歴」を手に入れることができるのでしょうか?
結論から言うと、答えはNOです。
これらの要素と同じくらい重要になってくるのが、実は親の存在なんです。
皆さんの学びたいという意欲を金銭的にサポートしてくれるのは、保護者の方々です。また、奨学金などの補助金の存在も無視することが出来ません。
これらの金銭的なサポートがあるからこそ、皆さんは目標に向けて「努力」をすることができ、その「能力」を遺憾なく発揮するチャンスを手にできるのです。
裏を返せば、金銭的なサポートがなければ、皆さんの能力は発揮されないまま埋もれてしまうかも知れないのです。
学歴と出生数の間には関係があるの?
最後に「勉強すること」と「子どもを産むこと」の関係を考えてみましょう。
そもそも、子どもの教育には少なくない費用がかかります。
日本では1970年代の第二次ベビーブームを境に多くの親が子供に多額の教育費を投資するようになりました。その傾向は近年になって少し緩和されましたが、依然として教育費支出は高い水準を維持しています。
その一方で、合計特殊出生率(15歳から49歳までの女性がある年度に産んだ子供の数の平均)や出生数(ある年度に生まれた子供の総数)は1970年代の第二次ベビーブームの頃と比べて大幅に減少しています。
これが、いわゆる少子化問題です。
これに関して、既存研究では子どもの数と教育の質(教育費)の間に反比例の関係があることが明らかにされています。[4]
そのため、子ども1人ひとりにかける教育費が高騰するにつれ、出生数は必然的に少なくなってしまうのです。
特に日本では、バブル崩壊以降「失われた20年」と呼ばれる長期的な経済停滞に苦しみ、多くの世帯で所得が伸び悩みました。ここに教育熱の高まりが費用として家計を圧迫します。
実際、バブル崩壊以降、日本では大学進学率は右肩上がりとなっており、多くの親が子供に良い教育を与えようとしてきたことがわかります。
さらに、近年では男女の大学進学率が拮抗してきており、多くの親が子どもの性別に関わらず、良い教育を与えようと考えるようになってきました。
このような経済状況では、本当はもう1人子供が欲しかったにも関わらず、教育コストの高騰によって、出産を断念する親がいても不思議ではありません。
以上をまとめると、近年になって少子化が進んだ理由として次の3パターンが考えられます。
- 世帯所得の伸び悩みと教育コストの高騰によって、子どもをたくさん育てる余裕がなくなった。
- 子どもの数より「教育の質」に関心を持つようになった。
- そもそも、子どもに関心がなくなった。
このうち②と③については、彼/彼女らが自ら望んで「子どもの数を選択しなかった」結果です。しかし、パターン1では予算の制約から、出産を断念した親がいることになります。
いま、年金や税金など他の制度との兼ね合いで、国はどうしても出生数を増やしたいとします。
この場合、上の3パターンのうち、どのグループの親に政策介入をすると最も効率的に出生数を高めることができるでしょうか?
そうですね。答えはグループ①の親です。
では、本当にグループ①のように、所得が制約となって出産を断念した親はいるのでしょうか?
私の研究では、児童手当の給付によって所得が増加した親の出産行動のデータを分析することで、グループ①の親がいたのかどうかを検証していきます。
研究背景
分かっていたこと
近年、日本をはじめとする多くの先進国では少子化が深刻さを増しており(参照)、ほとんどの国で何らかの対策が既に講じられています。(参照2)
例えば、皆さんの多くが利用したと思われる保育所や幼稚園。
これらの保育施設を増やすことで、働きながら子育てすることが可能になり、子育ての負担は大きく軽減されます。
では、保育施設を増やせば少子化は解決するのでしょうか?
実は、物事はそんなに単純ではありません。なぜなら、保育施設が不足しているのは東京など、人口が集中している一部の地域だけだからです。これが、入りたいのに保育施設に入れない「待機児童」の問題です。
考えてみてください。あなたは今、地方の都市に住んでいるとします。近くには既に保育施設があり、望めばすぐにでも子どもを保育施設に入所させることができるとします。そこに新しく似たような保育施設ができました。
さて、あなたは保育施設ができたことで何か恩恵を受けるでしょうか?
恐らく、答えは NO でしょう。
つまり、待機児童というのは主に人口集中地における問題なのです。
一方で、地方では子どもが病気になった時、子どもに良い教育を与えたい時、近くに必要な施設がない!となることも少なくありません。
この場合、どうしても必要なのであれば、その施設のある近くの大都市まで足を運ばなければなりません。
その時に必要となるのは、既存の施設に良く似た新しい保育施設ではなく、自由に使えるお金ではないでしょうか。
そこで、新たな子育て支援策として期待されているのが、児童手当なのです。
児童手当は子どもの年齢・子どもの数・世帯所得に応じて一定額が口座に振り込まれます。この制度は日本がまだベビーブームに沸いていた1971年にスタートし、当初の目的は子どもの多い世帯の貧困を防ぐことでした。
それから40年。日本の新生児数は当時と比べて半減しました(200万人→100万人)。それに伴って児童手当もその目的を変え、近年では少子化対策の柱として大きな役割を担っているのです。
なぜ児童手当の効果検証は難しいのか?
児童手当は子どもが多い世帯ほど受給金額が大きくなるような制度です。
例えば2010年以前の場合、支給額は子どもが2人以下の場合は月額5,000円であったのに対し、子どもが3人以上の場合は3人目以降は月額10,000円と定められていました。
この場合、子どもが2人の世帯で更に1人子どもが生まれると、児童手当は月額で5,000円増加します。
そのため、一見すると、児童手当の増額が出生を促したように見えるのです。
ですが、この中には児童手当の月額が仮に第三子以降も5000円であったとしても子どもを生んでいた世帯も含まれています。
つまり、子どもを3人以上産んだ世帯の全てが児童手当によって出産を促されたとすると、実際より効果を大きく見積もる(過大推定)可能性があるのです。
問題点はこれだけではありません。児童手当には子どもの数・年齢に加えて、所得制限もあります。
これによって、所得制限ギリギリの世帯では労働時間や働き方を調整することで所得制限を超えないようにするインセンティブ(動機)を持ちます。
なぜなら、所得制限以上働いても、その分だけ児童手当が減額されるのであれば、普通は初めから労働時間を減らして浮いた時間を余暇に当てるからです。
この場合、全体で見ると世帯収入は変わっていないので、出生率への影響はほとんどありません。
このように所得制限ギリギリの世帯の行動を含めてしまうと、本来は効果がある児童手当を、効果がないと効果を小さく見積もる(過小推定)恐れがあります。
最後に、そもそも児童手当をもらっている世帯ともらっていない世帯では、児童手当の受給の有無以外に違いはないのでしょうか?
勿論、十人十色という言葉がある通り、世帯が違えば家庭環境も異なります。その中で、子どもの数や世帯所得はデータに現れてくる観測可能な情報です。
一方で、中には親が育ってきた家庭環境や現在の居住環境、そして「子どもに対する教育観」など、データには現れてきにくい観測不可能な情報もあります。
このように観測不可能な情報が、実は出生数や教育費の決定に大きく関係している場合、本当は児童手当に効果がなくても効果があったように見える疑似相関が発生してしまいます。これでは、研究結果の信憑性が問われてしまいます。
以上の問題点をまとめると、
- 児童手当に関わらず子どもをたくさん望んでいる世帯がいると過大推定の可能性がある。
- 所得制限ギリギリの世帯では、労働収入を減らすインセンティブを持つため過小推定の可能性がある。
- 観測不可能な情報が本質的な違いを生み出している場合、本当は児童手当に効果なくても、あるように見えてしまうことがある。
どうやって問題点を解決するのか?
これまでの研究では、このような世帯間の違い(個人特性)を可能な限りデータとして収集し、児童手当のみの影響の特定を試みてきました。
ただし、問題点⑶で取り上げた、データに現れてこない個人特性による疑似相関の可能性は依然として残されています。
打開策として、これまでの研究では児童手当が予告なしに急に増額(拡充)されたことを社会実験とみなして、拡充の前後でどのような変化があったのかを分析してきました。[5]
具体的には「ある年度において児童手当が高い世帯/低い世帯」ではなく「同じ世帯で児童手当が拡充される前/拡充された後」の間での比較を行いました。
同じ世帯であれば、児童手当の拡充の前後で大きく「データには現れない個人特性」が変わることはありません。
その上で、児童手当の受給金額のみが変化していることから、拡充の前後を比較することで児童手当が受給世帯に与えた純粋な政策効果を特定することができるのです。
では、本当にそのような大規模で、かつ急激な変化は起きていたのでしょうか?次に示すのは1971年〜2013年の児童手当制度の変遷です。
ここから、児童手当は2010年を境に大幅に増額されたことが分かります。
では、誰がこの拡充の恩恵を受けたのでしょうか? 答えは次の図にあります。
拡充後の児童手当(子ども手当)では中学校卒業まで月額13000円が所得制限なしで支給されました。
そのため、中学生までのすべての子供が児童手当の増額を経験した中で、特に所得制限以上の世帯と中学生の子どもがいる世帯のみが大幅に増加するという状況が生じました。
これによって「児童手当の金額の違いのみ」が出生率や教育意識に与える効果の検証が可能になったのです。
まだ分かっていないことは?
2010年の大規模な拡充を社会実験とみなして、児童手当が受給世帯にどのような影響を及ぼしたのかを検証した研究は多くあります。
例えば、児童手当は教育費として今使われたり、子どもの学資保険として将来に貯蓄されていることは既に明らかにされています。一方で、これらの研究はすべて子どもが生まれた後の話です。
児童手当が本当に出生率を高めたのかをデータを用いて科学的に検証した研究は日本にはまだありません。
児童手当の拡充は誰に、どんな影響を与えたのか?
研究内容
研究課題
- 児童手当の拡充よって子どもを増やしたのはどのような親なのか?
- 子どもを増やさなかった親は、一体、何に児童手当を使ったのか?
何をしたのか?
民主党政権で2010年4月からスタートした子ども手当政策の前後で出生率が変化したのかを比較しました(期間は拡充前の2008年度、2009年度、そして拡充後の2011年度を使用)。
なぜこの期間に注目したのか?
2009年12月に実施された第45回衆議院選挙で、民主党は児童手当の大幅な拡充(所得制限の撤廃、支給年齢を小学校修了から中学校修了に延長)や高校の授業料無償化など、保育・教育に力を入れたマニフェストで政権交代(自民党→民主党)を達成しました。
最終的に、児童手当の拡充は衆議院を2010年3月16日に通過、参議院を3月26日に通過し、翌年度4月1日より施行されました。
このように短い期間で政策の施行が決定したため、2010年4月以降にスタートした児童手当の拡充に対して、受給世帯ではそれ以前に子どもの数を調整することができませんでした。
では、なぜ子どもの数を調整することが出来なかったのでしょうか?
ここで重要になるのが、妊娠をしてから子供が生まれるまでの約10ヶ月のタイムラグです。
私の使用したデータは調査が1~3月の間に行われます(2009年度の場合、2009年1~3月)。
つまり、2009, 10年度の調査で子どもの数が増えていたサンプルは、それぞれ2008, 09年の3〜5月以前に妊娠していたことになります。
この時点では、まだ政権交代は起きておらず、児童手当の拡充を予測することは出来ませんでした。
そのため、2010年4月を境として「児童手当の拡充を受けた世帯/受けていない世帯」のグループに分けることができるのです
このように、児童手当の拡充は「誰も予測できず、かつ全国的に行われた政策変化」という社会実験として非常に望ましい条件をもつことから、今回の分析に使用しました。
どんな手法を使ったの?
年収や居住地、さらには同居する家族の人数など、児童手当の変化以外に出生率に影響を与える全ての要因を取り除くことのできる、回帰分析という手法を用いました。
何を検証したたの?
まず、「児童手当の拡充を受けた世帯/受けていない世帯」の間で出生率が異なるのかを検証しました。
また、親を子どもの年齢ごと(小学校入学前の子ども・小学生・中学生)にグループ分けし、子どもの年齢が変わると政策効果が変わるのかを検証しました。
最後に、既存研究より、多くの親が児童手当を子どもの教育費に当てることがわかっているため、本研究では教育費をさらに細分化し、児童手当の拡充が
- 保育環境
- 教育環境
- 図書館や博物館、音楽ホールなどの文化環境
などの子育て環境に対する意識を変えたのかについて、それぞれ検証しました。
新たな発見
児童手当を拡充したことで約5%の親が新たに子どもを出産しました。
これによって、実際に予算の制約で出産を諦めた親がいたことが明らかになりました。
さらに、子どもの年齢ごとに政策効果を分析すると、出生率が増えたのは小学校入学前の子どもをもつグループのみで、約17%の親が新たに子どもを産んでいたことが明らかとなりました。
同時にこのグループでは同じ割合の親が「保育環境」に対する意識を高めたことが確認されました。
一方で、小学生の子どもを持つ世帯では出生率は変化しなかったものの、約13%の親が子どもに対する教育意識を高めたことが明らかとなりました。
最後に、中学生の子どもをもつ親については特に影響は確認されませんでした。
以上の研究結果をまとめると、次のようになります。
児童手当の増額は、
- 子どもが小学校に入る前は「子どもの数」を増やす。
- 子どもが小学生になると次は「子どもへの教育意識」を高める。
- 中学校に入学してしまうと「子どもの数」「子どもへの教育意識」のどちらに対しても影響を与えない。
これについて、より詳しく学びたい人は論文を読んでみてください。
よくある質問
児童手当を受給しても子どもの数や教育水準は変わらないのでは?
- 子どもは授かりものだから、何人産むかを予め計画している親は少ないのでは?
- 子どもにも向き不向きがあるから、親の期待通りに教育することはできないのでは?
質問に対する回答
Q. 何人産むかを予め計画している親は少ないのでは?
A. 仮に今、あなたが結婚したばかりだとします。どこに住むか、どんな家に住むか、何歳まで働き続けるか、自分の親と同居するかなど、これから考えるべきことは山のようにあります。
これら全ての人生設計に「子どもを産むか」「産むなら何人産むか」という意思決定が関わってきます。
昨今、半数以上のお子さんが四年制大学や短期大学、専門学校などに進学しています。
仮に子どもを大学まで進学させると、子育て費用は平均2000万円ほどかかると言います。2人産むと約4000万円。高いと思う人、安いと感じる人、それぞれいると思います。
参考までに、私が住んでいる関西圏でマンションを購入する場合、最近の相場は約4000万円です。(首都圏では約5500万円)これが持ち家になると、さらに高くなります。
また、皆さんの中には小さい頃、祖父や祖母にお世話してもらった人もいると思います。ただし、全ての親が祖父母に子育てをお願いできる訳ではありません。
近くに子育てをしてくれる親類がいない場合、働きに行くとなると当然、保育所やシッターさんに子どもを預けなければなりません。その分、子育て費用は高くなります。
最後に、子どもを何人産むかは親の働き方にも影響を与えます。
今年の4月よりスタートする働き方改革関連法案によって、今後ますます、子育てに奮闘する親にとって働きやすい社会がやってくるでしょう。
それでも、業界や会社によっては結婚・出産で退職を余儀なくされたり、育児休暇が取りにくいまま、という可能性は大いにあります。特に、子どもが2人、3人と増えるにつれて、子育てと仕事の両立はますます難しくなります。
参考までに、平成30年7月に公表された国民生活基礎調査によると、すべての世帯の平均世帯所得は約560万円でした。(子どもがいる世帯の平均世帯所得は約739万円)
先ほどの子育て費用と比較して、皆さんはどう感じるでしょうか?
Q. 親の期待通りに教育することはできないのでは?
A. 勉強、習い事、趣味。何事にも向き不向きはあります。
ただ、向いているかを判断するためには、まず何事も試してみる必要があります。何を試すか、どれだけやってできなければ不向きとするか、そもそも子どもに何を期待するか。家族の数だけ様々な価値観があると思います。
例えば、皆さんの中には塾に通ったり、家庭教師をつけている人も多いと思います。教育に向いているか、難しい内容についていけるか、今まさに皆さんは試している最中です。
さて、今、仮にご両親の年収が半分になったとします。それでもまだ、皆さんは向き不向きを判断するために、塾や家庭教師を続けることができるでしょうか?
もちろん、中には生活費を切り詰めても教育費を捻出する家庭もあると思います。ですが、多くの家庭では基礎的消費と呼ばれる、生活を営む上で最低限必要な消費(家賃や食費、光熱費など)を優先するでしょう。
裏を返せば、子どもに質の良い教育機会を与えたくても与えることのできない家庭がいる可能性もあるということです。
経済学の中で、子供への教育は将来への「投資」と考えられています。
良い教育を受けることで、良い大学に進学し、良い企業に就職することができるかも知れません。今は負担になりますが、子どもにかけた教育費はその後何倍にもなって返ってくるのです。
つまり、児童手当は子どもを塾や家庭教師につけたいと思っているものの、年収からは賄えない世帯に対して子どもに質の良い教育機会を与え、教育の不平等を是正する役割を持っているのです。
データ科学のこれから
一般に、国の制度はある程度の条件(例えば年収や家族構成、障害の有無やその重度など)をパスすると、その後は一律支給であることが多いです。
では、どこに条件を設ければ良いのでしょうか?
そこで重要になってくるのが「誰が何を必要としているのか」という需要に関する情報です。
ただし、国民1人ひとりの需要を細かく聞いて政策に反映させることは時間的にも、予算的にも不可能です。
ここで本領を発揮するのが「データ科学」の力です。
近年の情報技術の発達とともに、データの保存・処理が昔と比べて簡単にできるようになりました。
それに応じて、経済学の分野でもデータを分析することで人々の経済活動のメカニズムを解明しようとする「計量経済学」という分野が急速に進歩を遂げてきました。
例えば、計量経済学の手法を用いた私の研究では、児童手当の拡充による受給額の変化は同じでも、受給世帯の子どもの年齢によって政策に対する反応が異なることが分かりました。
例えば小学生の子どもをもつ親は、拡充によって増えた児童手当を「子どもの数」よりも「子どもの教育」に使おうとしていました。
これは、裏を返せば現状の教育サービスに満足していないことを意味しています(仮に満足している場合、増えた児童手当は他のことに使われるでしょう)。
また中学生の親については、そもそも児童手当が影響を与えていませんでした。
そのため、小学生や中学生をもつ親については児童手当のような現金支給ではなく、例えば学校の授業の時間や質を高めるなど、教育資源を充実させることに予算を充てる方がより高い政策効果が期待できるかも知れません。
今後は児童手当とそれ以外の政策を比較し、どの政策が子どもの数や教育水準を高めるのかを検討していきたいと考えています。
最後に
研究に興味を持ったきっかけ
私が研究に興味を持つようになったのは高校生の時です。
公民の授業で「少子化問題」を扱いましたが、いくら先生の説明を聞いても、「なぜ少子化が問題なのか」を理解することができませんでした。
確かに、出生率が下がると税金や年金を支払う人口(労働人口)が少なくなり、若年層の負担は一層大きくなります。
一方で、若年層一人ひとりの生産性が増加すれば、全体として所得税や公的年金などの納付額が今より高くなるかも知れません。
するとどうなるでしょう。
当然、税収が増えることで、私たちはより多くの公的サービスを受けることができます。
また、公的年金の納付額が増加することで、高齢化が進む中でも年金の財源を確保することができます。
以上の経験を踏まえて、私は次の問題意識を持つようになりました。
- 結局のところ少子化は阻止すべきなのか?
- それとも、一人ひとりの生産性を高める道を探すべきなのか?
少子化問題と生産性の間に関係性があると考えた私は、より深く少子化問題について学びたいと思うようになり、「働くこと」を科学することのできる経済学部に進学することを決めました。
公民の授業を受けていなかったら、そこで「なぜ」と感じることが無かったら、恐らく経済学部に進むことはありませんでした。当然、経済学者を目指すこともなかったでしょう。
読んでくれた皆さんに向けて
この記事を読んでいる皆さんの数だけ、色んな「なぜ」があると思います。
例えば、
- なぜみんな偏差値の高い高校や大学を目指すのか?
- なぜ親は子どもを早くから塾に行かせようとするのか?
- そもそも、なぜ勉強をしなければいけないのか?
などなど。
中には、検索すれば一瞬で解決するものあれば、一生かかっても解明できるか分からないような壮大な「なぜ」もあることでしょう。
このような「なぜ」を「そういうものだ」と納得してしまうことは簡単です。
- みんな偏差値の高い高校や大学を目指すものだ。
- 親は子どもを早くから塾に行かせようとするものだ。
- 勉強はするものだ。
という風に。
皆さんの中には、自分だけがこだわりを持つことを恥ずかしいと感じる人もいることでしょう。実際、私もそうでした。
では、どうしてあなたはそれに「なぜ」と感じたのでしょうか?
周りの人が「そういうものだ」と素通りするものに、どうして「なぜ」と立ち止まったのでしょうか?
それは、皆さんが人とは違う「皆さんの人生」を生きてきたからです。
周りと違う経験をしていれば、当然、同じ空間にいても周りの皆と違う感想を持つこともあるでしょう。
皆さんの「なぜ」は、そのまま皆さんの人生経験を反映しているのです。
大学ではそんな皆さんの「なぜ」に学問の力で迫ることができます。
その中でも、経済学部では「数学」や「データ科学」を用いて科学的に検証する方法を学ぶことで、皆さんの「なぜ」を根拠のある「問題」として社会に提起する力を身につけることができます。
社会はたくさんの人が織りなす多様性の上に成り立っています。
この多様性が、新たなものを生み出す原動力になることもあれば、人と人との間に衝突やトラブルを生み出す原因になることもあります。
現代社会はこのような「人が生み出す問題」で溢れかえっています。
そのため、誰かが声を上げなければ、そのほとんどが見過ごされ、誰かの我慢のうちに忘れ去られていきます。
その一方で、世の中にはこのような「問題」に気付いたとしても、声を上げる術を持たない人がたくさんいます。
皆さんの「問題提起」は、このような多くの人の声なき声に形を持たせ、共鳴する人を動かす力になるのです。
なぜ、「社会問題」が生じるのか?
どうすれば、解決出来るのか?
どんな社会が望ましいのか?
これらの問いは簡単に答えの見つかるものではありません。
ですが、答えを探すために一生懸命勉強したことは、きっと社会に出てから皆さんの大きな武器になることでしょう。
そんな学びと成長の機会が、経済学部にはあります。
最後に、
部活や入試勉強など、やることいっぱいの学校生活。その中で見つけた、ちょっとした「なぜ」を忘れずに、大切に育てていってください。
その先にはきっと、皆さんだからこそ見ることのできる世界が広がっていることでしょう。
皆さんが充実したキャンパスライフを送れることを心から願っています。
参考文献
皆さんの周りには様々な「なぜ」が転がっています。
私の専門である教育の経済学という分野では、教育の現場で起きる「なぜ」に経済学の観点から答えを探っていきます。
興味のある人は「学力の経済学」を読んでみてください。(ちなみに漫画版もあります)。
子どもの教育に関する最先端の経済学を日本語で学びたい人は「幼児教育の経済学」を参考にしてみてください。
他に、統計学を使って何ができるのかを知りたい人は「統計学が最強の学問である」や「ヤバい経済学」などを参考にしてみてください。
また、政策効果を検証する手法について詳しく勉強したい人は「原因と結果の経済学」を手に取ってみてください。
より発展した内容に興味がある人は「計量経済学の第一歩 — 実証分析のススメ」や「データ分析の力 因果関係に迫る思考法」に挑戦してみてください。
引用論文
- Becker, Gary S. “A Theory of the Allocation of Time.” The Economic Journal (1965): 493-517.
- Coleman, James S. “Equality of educational opportunity.” Integrated Education 6.5 (1968): 19-28.
- 樋口美雄, 中室牧子, 妹尾渉. “親の所得・家庭環境と子どもの学力の関係: 国際比較を考慮に入れて (NIER Discussion Paper Series No. 8)” (2018).
- Becker, Gary S., and H. Gregg Lewis. “On the Interaction between the Quantity and Quality of Children.” Journal of Political Economy 81.2, Part 2 (1973): S279-S288.
- Naoi, Michio, et al. Causal effects of family income on child outcomes and educational spending: Evidence from a child allowance policy reform in Japan. No. 2017-026. Institute for Economics Studies, Keio University, 2017.
浅川 慎介
大阪大学経済学研究科 博士後期課程
日本学術振興会 特別研究員(DC2)
個人HP: https://sites.google.com/view/shinsuke-asakawa
Mail: shinsuke.asakawa[at]gmail.com ( at を @ に変えてください )