はじめまして。
名古屋大学大学院創薬科学研究科 細胞分子情報学分野 准教授の加藤竜司と申します。
「再生医療」の研究をしています。
再生医療は、体の中にある「生きた細胞」を使って、これまで治らなかった病気や怪我を治療しよう、という新しい医療です。これまでの薬では治らなかった病気や怪我が、「生きた細胞」を治療に使うと治すことができることがだんだんわかってきているのです。
薬とは「治療のために使うアイテム」です。ですから、治療に使うアイテムという意味から、細胞は「次世代の薬」だと考えられています。
錠剤、粉薬、点滴薬。そういった薬の最も新しいジャンルとして、「生きたヒトの細胞」が広がりつつあるのです。
実際、もう日本でも「生きた細胞」は薬として販売されています。まるでSF(サイエンスフィクション)の映画のようですね。
私たちの研究室では、再生医療で使う治療用の「細胞」を、製品として良い品質で作るため、工学的なものづくりテクノロジーの開発をしています。
この記事では、再生医療という分野のなりたち、おもしろさ、そして困っていることを解説しながら、「薬」や「治療」という分野で求められている新しい「ものづくり」について紹介したいと思います。
目次
体の再生パワーの源
私たちの体には、傷を修復・再生させるパワーがあります。
切り傷はいつの間にかふさがって治りますし、折れた骨もいつかつながっていきます。肝臓は、手術で半分以上を取ってしまっても、また元に戻っていきます。
これは、私たちの体を構成している細胞が、一生懸命働いて、トラブルに陥った環境を「再生」してくれているからなのです。
ところが、どんな傷でも治るわけではないことも私たちは知っています。
傷は、深ければ跡が残ります。神経が傷つくと痺れが残ります。脳や脊椎が損傷を受けてしまうと、現在の医療では元に戻りません。
この再生能力の差は、一体何が原因なのでしょうか。
そのカギを握っているのが、私たちの体の中にある「細胞」です。
体の中の細胞
細胞は、私たちの体を構成する生きた粒(ツブ)です。
ニワトリの卵やイクラは、肉眼で見える細胞の1例ですが、多くの細胞は数十~百ミクロンですから、肉眼でこのツブツブを見たり、感じたりすることはできません。
細胞は、栄養を取り込み、老廃物を排出しながら、生きています。お互いにくっついたり、つながったり、分裂して増殖したり、アメーバのように動き回って生きています。
もちろん、その動きはとてもゆっくりですから、普段私達が感じることはないのですが、顕微鏡で細胞のビデオをとって早回しをすると、細胞は一つ一つが意思をもった生き物のようにうごめいています。
そんな生きた細胞が、私達が病気になったときや怪我をしたとき、これを治療しようと一生懸命働いてくれる仕組み。それが私達の体の「再生の力」の源なのです。
細胞はどこからやってくる?
私達の体には、細胞が数十兆個もあると言われていますが、全ては「大元」まで遡ると「受精卵」という1つの細胞へとたどり着きます。
筋肉も、歯も、神経も、全然異なる様相を示すこれらすべての大元は、たった1つの細胞だったのですから、生命は本当に不思議ですね。
見方を変えると、大元である受精卵という細胞は、どんな細胞でも作り出せる細胞、とも言えます。
受精卵から、人間のすべてのパーツが出来てくるのですから、
「受精卵を研究したら人間のパーツを全部作る秘密がわかるに違いない」
と考えるようになったわけです。
このような細胞を研究して、人がどうやって形作られていくのかを解き明かすのが発生という分野の研究になります。
細胞の大元「幹細胞」
受精卵の何が「体を全部作るパワーを持っているのか」という研究が進み、やがて研究者は、受精卵の一部の細胞だけ取り出しても、いろいろな体の細胞が作り出せることを知りました。
さらに、同じような能力を持った細胞は、体の至るところからも見つかりました。骨の中、脂肪組織、血の中など、受精卵の中以外にも、すごい能力を持つ細胞が存在したのです。
受精卵そのものではないけれども、どんな細胞も作り出せる(万能な)細胞は、「幹細胞」と呼ばれるようになりました。
どんな細胞でも作り出せる幹細胞が、実は体のいろんなところにいるということは、体の修復や再生の源になっているかもしれないと研究者は考えました。
体の傷や病気を治療するため、生きた組織を他から持ってきて補強しようという試みは、移植医療として昔からありましたので、同じように
「幹細胞を移植したらいいのでは?」
という治療の研究が進みました。
研究の結果、幹細胞を移植すると、移植部位の再生が促進されて症状が改善することがわかってきました。幹細胞は確かに、体の修復や再生の大事な存在だったのです。
また、幹細胞はいろいろな細胞の大元ですので、幹細胞から人工的に「好きな細胞」を作ってそれを移植するという研究もたくさん行われるようになりました。
神経が足りない部位には、神経細胞を、
軟骨が欠けたときには、軟骨細胞を、
心臓が弱ったら筋肉細胞を移植する、
という治療が生まれたのです。
結果として、細胞を使うと、今まで治らなかった病気や怪我が治ることが、どんどん証明されることとなりました。
まさに「細胞の再生パワー」を借りた治療、これが再生医療(細胞治療とも言います)なのです。
再生医療の主役「細胞」を作る
細胞を体外で飼って使う
細胞は、私達の体の中でこそ生きて活動していますが、体の外でも「生かして飼う」ことができます。この「飼う」ための技術が、細胞培養です。
実際のところ、カエルやマウスなどの動物細胞は、100年も前から体外で培養されてきました。
体外で細胞を培養できるようになって初めて、我々はいろんな病気のメカニズムや、薬の研究開発がより深く行えるようになりました。多くのノーベル賞も細胞を培養した研究から生まれるようになりました。
さらに培養技術が発展すると、今度は細胞を観察するための研究材料としてだけではなく、ものづくりのためのツールとして使う技術が発展しました。
体の中で細胞は、とても複雑な形をもつたんぱく質をどんどん作り出して、周囲に提供しています。遺伝子を人間がデザインすれば、好きなものを作り出すことも可能になるわけです。
このパワーを借りて、1970年ごろからは、動物細胞を工場で大量に培養して、細胞にお薬になるたんぱく質(ホルモンやワクチンなど)を作らせる産業が発達しました。(この種類の薬はバイオ医薬品と呼ばれます)
細胞が作るたんぱく質は、実際に体の中の機能調節を担っていますので、人工的に作った化学物質でできた薬よりも、優れた効果が多いことがわかってきました。
現在、世界で最も売れている薬をランキングすると、トップ10位中ほとんどの薬が「細胞を使って作られた薬(抗体やワクチンなどのたんぱく質)」となっているほどです。
このような状況に加えて、細胞を使うと薬では治らなかった病気や怪我が治る、とわかってきたので、
「ヒト細胞をいろいろな治療に使いたい!」
「もっともっとヒト細胞が欲しい!必要なときに、好きなだけ欲しい!」
と考える人が急速に増えてきました。
まるで、マンガのマッドサイエンティストのような展開になってきたのです。
科学には、パラダイムシフトと呼ばれる大きな時代の変化が顕れることがあります。昔はわずかしかなかったものが、急に膨大に世の中に出回り、社会を変えることがあるのです。
細胞は、まさにそんな存在となりつつあります。
薬の多くは昔、小さい分子量の化学物質ばかりでした。
しかし、細胞でタンパク質が作られるようになると、新しいジャンルの薬として前の薬では治らなかったものが治るようになり、大量生産が求められる時代が来ました。
今、細胞は、化学物質やたんぱく質では治せなかった病気や怪我が治る可能性を示しています。細胞は、これまでの薬と違って「自走して動いてくれる」ような機能があります。また、自分自身が分裂・増殖し、その場の環境に適応しながら体を「自己修復」してくれるような機能もあるのです。
つまり、細胞は「次の新しいジャンルの薬」として、世界に求められ始めたのです。
これは、歴史の中でも、とても新しいムーブメントだと言えます。
ヒト細胞をどう作る?
再生医療は、細胞を使った治療です。私達の体の中で活躍している細胞を、人工的に体の外で培養し、活性化させたり、機能を高めたりして治療に使います。
ところが、ヒトの細胞を培養するのは、とても難しいことでした。
まず、体の中にある多くの細胞は、体外で人工的に培養を長く続け過ぎると、元気がなくなってしまうのです。増えなくなったり、本来もっている治療のための機能が落ちたりしてしまうのです。
つまり、培養して増やせる細胞の数には限界がありました。
再生医療の治療では、大量の細胞が必要です。治療のタイプによっては、何億個も必要になります。細胞を増やしきれず、十分に数が準備できないのはとても困ったことなのです。
また、治療に欲しい種類の細胞が、なかなか手に入らない、ということも大きな問題でした。
私たちの体の中の細胞は、赤ちゃんのような幹細胞からスタートして大人へと育ち、いろいろな仕事に特化して就職していきます(この過程は分化と呼ばれます)。しかし、一度分化してしまった細胞は、職場(細胞が働いている組織)にしかいないので、欲しい細胞は組織を手術で取るしか手に入れる方法がなかったのでした。
ところが、脳神経の細胞が欲しくても、元気な人から脳神経をとってくることはできません。心臓の治療に必用でも、だれかの心臓から細胞を奪うことはできないわけです。
このような問題や悩みを大きく解決したのが、京都大学の山中伸弥先生が開発した人工多能性幹細胞(iPS細胞: induced pluripotent stem cell)でした。
細胞から細胞を作る
iPS細胞の技術とは、簡単に言えば「一度仕事についてしまった細胞の人生を、赤ちゃんの状態まで巻き戻す」技術です。(この技術は、リプログラミングとも言われます)
この技術は「欲しい細胞は、元気な組織を傷つけてしか得られない」という常識を粉々に吹き飛ばしました。
どんなに入手が難しいと考えていた細胞でも、皮膚や脂肪など、手術で手に入る細胞があれば作れてしまうことになるからです。分化した細胞を、初期状態に巻き戻してiPS細胞を作り、それを元にして欲しい細胞を作れてしまうのです。
これまで、いろいろな細胞を作るために受精卵(命の始まり)を使わなければならなかったことに比べ、iPS細胞はいろいろな細胞を入手する革新的ツールとなりました。
さらに、iPS細胞の特性は、細胞増殖の限界という縛りも取り払うものでした。
iPS細胞のような幹細胞は、ほぼ無限に増えるのです。
大量に増えるし、どんな細胞でも作れる。iPS細胞はヒト細胞を培養していた研究者にとって最高のアイテムとなりました。
細胞を治療に使う再生医療、そして薬の研究者や生命メカニズムの研究者にとって、iPS細胞は四次元ポケットのようなものです。どんな細胞でも、無限に出してくれるのですから。
このためiPS細胞が発表された2006年以降、再生医療は急速に、遠いSF的なお話ではなく、実現可能な新しい夢の技術となったのです。
細胞を作る現場と課題
再生医療の肝となる「治療用の細胞」は、どうやって作るのでしょう?
細胞は、体のいたるところにいます。ですので、「生きている体の一部」が細胞を得るための材料になります。iPS細胞を作るためにも、ほんのちょっとだけ、体の一部が必要です。
皮膚などのお肉の一部や、献血のように吸引した血液や骨髄、もしくは捨てるはずだった手術で出た肉片や組織を使うこともあります。今では治療のために抜いた歯も材料になることが知られています。(髪の毛や爪は体の一部ですが、細胞ではなくタンパク質の塊なだけですので、これには該当しません)
細胞の多くは、何かに接着して増える性質をもっています。このため、取得した「体の一部」に含まれる細胞を、プラスチック製の容器に「接着させる」ところから細胞作りは始まります。
お肉は小さく切断し、酵素で少し柔らかくしてからプラスチック容器にこすりつけます。血液などの液体は、そのままプラスチック容器に入れておきます。
ここに、体温まで温めた細胞を生かすための栄養を含む液(培地と言います)を浸します。すると、培地の中で細胞は元気に活動を始め、プラスチック容器にくっつき出し、そこからアメーバのように伸びたり縮んだりして活動を始めます。
その後、体温と同じ温度で容器を温めておくと、細胞は培地の中で、分裂を繰り返して増えていきます。
金魚を飼うのと同じように、培地の中で細胞は、栄養分を摂取し老廃物を吐き出すので、培地は2~3日おきに交換してあげます。あとは1週間、長いときには3か月、培地を交換してあげるだけで細胞はプラスチック容器の底面いっぱいに、透明な湯葉のように広がるまで増殖していきます。
たった数個の細胞も、時間がたつと何万個、何億個に勝手に増えていくのです。それは、まるで植物の種を植え、その収穫を待つようなものです。
途中、培地に特殊な薬剤を加えると、リプログラミングで細胞をiPS細胞の状態へと巻き戻したり、分化を進めて骨や神経や筋肉を作ったり、様々な細胞を作りわけることができます。
治療で細胞を使うとき、プラスチック容器底面に増えた細胞は剥がして利用されます。タンパク質を溶かす酵素などを使って剥がすときもありますし、物理的にワイパーのようなヘラでこそげ取るときもあります。
湯葉の形状が大事なときには、そのままシートとして回収することもあります。おにぎりのように固めて回収することもあります。
そして回収した細胞の多くは、生理食塩水などでよく懸濁してから、注射で患部に、もしくは点滴で全身へと投与されます。シートのまま切手のようにそうっと剥がして、移植するような使い方もあります。回収した細胞を、「欲しい形をした型」に流し込んで、成型してから移植するときもあります。
ここまで読んで、思わないでしょうか。
「あれ?細胞作りってすごく原始的だぞ」
「なんか手作業ばっかりだな」
と。
そうです、現在の細胞の作り方は極めて原始的なのです。和菓子職人のような、手作業なのです。
肉を切り刻んで、培地に混ぜて待つ。
増えたら剥がして使う。
それも全部手作業で。
みなさんが知っているどんな薬も、こんな手づくりで作っている製品はありません。
そもそも薬は、安全でなければなりません。また、治療効果もきちんとなければなりません。
そして、どこで売っている薬も、同じ効果が出なければなりません。
さらに、世界中の患者さんのために、大量に作る必要があります。
この全てを満たしてモノを作るというのは、実はとても高度なことなのです。つまり手作業だけでは、これらの条件を全て満たすことはできません。
つまり、薬が「製品」としてみなさんの手元に届くには、大量かつ高品質に作るためのテクノロジーがこれを支えているのです。
薬を作るということは、ものづくり技術の結集なのです。
逆に言えば、大量かつ高品質にものづくりができる技術がないと、どんな素晴らしい薬もみなさんの手元には届きません。
再生医療は、歴史的に見ればまだとてもとても新しい治療です。原理的には、夢のような治療効果が期待されますが、実はまだみなさんの手元にはなかなか届きにくい状態で研究者も悩んでいるのです。
これを解決するには、「薬」として細胞を作るテクノロジーが必要不可欠です。
薬として細胞を作るためのテクノロジー
細胞を作る工場
みなさんはTVなどで、滝のように流れるガラス瓶に薬が充填されている工場や、大量の錠剤が流れてパッケージされていく工場を見たことはないでしょうか?
一般的に薬は、そんな風に厳密に管理された薬を作る専門の工場で、自動化装置やロボットを使って、大量かつ正確に作られています。
大量に作ることで、世界中の人に届けることができるようになります。
機械などの高度な工学技術を使って作ることで、世界中どこで作っても、いつ作っても、同じ効果をもつ薬を作り続けることができます。
また、大量・効率的に作れれば、安く良いお薬を届けることができるようになります。
もしも、今みなさんが飲む風邪薬が、一つ一つ手作業で作っていたとしましょう。化学反応で合成を繰り返し、精製し、粉にして、型に入れて打錠するのを、全部一人の職人が作ったとしたら・・・。
きっと、1粒は数百万円で、本当に困ったときに買えるかもわからないでしょう。
実は、再生医療で使う細胞は、現在まったく同じ状況にあります。
1品はまだ数千万円します。また、一つ一つ手作りですから、世界中の人には届けられません。また、細胞を作れる職人さんがいない場所では、簡単に作ることができません。
これは・・・困ります。
つまり今、再生医療は、新しい、ものづくりのためのテクノロジーを心から待っているのです。
細胞を作るための産業革命
自動車や家電製品は、高度な技術の塊です。身近なスマートフォンやパソコンも、技術の塊です。
これは全部手作業などでは作れません。高度な装置や技術のある工場で作られます。
同じように細胞も、
「専門の高度な技術をもった工場で作ればいいかもしれない」
そう考えるものづくり産業の企業研究者が、今大量に再生医療の分野には入ってきています。
自動車や船を作っていた会社、カメラやパソコンや冷蔵庫を作っていた会社、プラスチックや布材料を作っていた会社、化学原料や食品材料を作っていた会社が、「細胞を作る工場」にその技術を導入しようとがんばっています。
つまり、世界中で「細胞を作るためのテクノロジー」を生み出そうという流れが生まれています。
もともとは「手で作っていたもの」が、テクノロジーのパワーを得て世界中を席捲する、ということは歴史上、何度も起きています。
車も、飛行機も、薬も、食品も、もともとは手作りでしたが、技術の発展とともに大きな産業に育っています。その代表例が、私たちは歴史の教科書で習う「イギリスの産業革命」です。
新しい動力を発明したイギリスは、織物の製造を自動化することで世界を席捲しました。
さらにその自動化技術は、今日の自動車産業を生み出したのです。
再生医療は、実は全く同じ構図の中にいます。
手作りでしか作れなかった「細胞作り」を、技術者とエンジニアが知恵を振り絞って機械化・自動化しようとしているのです。そして、そこに力を入れようと、いろいろな産業界の人たちが再生医療分野に注力しつつあるのです。
あと10年後、きっと歴史の本を書く人は、「2015年代から再生医療の産業革命に突入した」と書くことでしょう。
そんな熱気が再生医療には吹き込まれつつあります。
細胞の品質管理テクノロジー
私たちの研究室は、再生医療に使われる細胞を「安全に」かつ「効率的に」作るものづくり技術の研究開発をしています。特に注力しているのが、細胞の品質管理技術の開発です。
治療のための薬としての細胞を作るときに一番難しいのは、「生きたまま」で細胞を作らないといけないことです。
生きたままで細胞を作るということは、まるで動物を飼うようなものですのでコントロールが難しくなります。
さらに、細胞がどんな状態かを知る良い方法がないのです。現在、細胞の状態を知るには遺伝子やたんぱく質の量を測ることが一般的なのですが、このためには細胞を破壊しなければいけません。
細胞の状態を知りたい。けれど、状態を知った後で生きていないと治療に使えない。
こんなジレンマは、これまでのどんな薬を作るときにもありませんでした。
化学物質でできた薬は、生きていませんので、状態の測定が簡単です。
タンパク質でできた薬も、生産には細胞を使いますが、薬になるのはタンパク質なので測定が簡単です。
ところが、薬としての細胞は、生かしたままで患者様に届けないといけないのです。その細胞の状態を測る良いテクノロジーは、現在ありません。
私たちの研究では、細胞培養の熟練者にそのヒントをもらうことにしました。
細胞を見るテクニックの技術開発
細胞は、長い時間の培養を経て作られます。ところが、細胞は生き物ですので、体外の人工的な環境の中で生かされている間、変化し、時に、劣化していきます。
今日の細胞は、元気がないぞ。
ご機嫌ななめかな。
今日の細胞は、全然分化してくれないぞ。
昨日元気だったのに、今日はおかしいぞ。
そんな細胞の気まぐれに、細胞の研究者は悩まされています。細胞を培養している人たちは、細胞を「飼う」のではなく、細胞に「飼われている」と表現するぐらいです。
ところが、そんな気難しい細胞を使っても、再生医療の研究は着実に進んでいます。どうやって、細胞の元気を人間はコントロールしているのでしょうか?
現在、細胞培養で細胞の品質は、「顕微鏡観察」によって行われています。
世界中、どんな世界の最先端の研究室でも、会社でも、細胞培養中の細胞の様子は「見て感じるしかない」というのが現状なのです。
毎日細胞の様子を観察すると、「細胞の異常」や「細胞の元気」を知ることができるようになるのです。
これは細胞培養のテクニックと呼ばれます。細胞培養の熟練者は、的確に細胞の状態を見分けています。練習に練習を重ねると、細胞の変化を見分けられるようになるのです。
ところが、そのテクニックを他人に伝授するのは至難の業です。
「このクリっとした細胞の、ツルっとしたかわいい感じを覚えてください」
と言われても、なかなか覚えられるものではないわけです。
そこで私たちの研究室では、この人間の技を、エンジニアリングの技術で置き換えられないか、と考え、「再生医療研究」と「コンピュータ解析技術」とを組み合わせることにしました。
具体的には、近年すごい技術がたくさん発達している「画像解析」と「人工知能」のテクノロジーを使って、人間の「目」と「頭」を置き換える技術開発をしようとしています。
人間が顕微鏡で「細胞の何かを感じ取っている」なら、そこには何かのシグナルや情報があるはずです。
最新のコンピュータ画像解析技術は、画像の中から人の顔を見つけたり、笑顔の度合いを見分けたり、さらには写っている動物の種類を当てたり、写っている風景だけを認識して色を付けたりするようなことができるようになっています。
つまり、画像に隠されたシグナルを、見分けることができるかもしれない、と考えたわけです。
また、人間が画像を見て「今日は変だ」と感じたなら、それは何かの記憶に基づいています。
人間の記憶は薄れたり、忘れたりしますが、コンピュータに覚えさせておけば、二度と忘れることはありませんし、膨大かつ高速に思い出すことができます。
さらに近年の人工知能の技術では、様々なことをコンピュータに「教え込む」ことができるようになっています。
甘いミカンの見た目を教え込んだり、将棋の手を教え込んだり、天気予報を教えこんだり、自動運転を教え込んだり。コンピュータを、まるで人間のように、時には人間以上に、賢く判断する能力を持たせることができるようになっているのです。
細胞の画像も、細胞の異常を知らせるシグナルを見つけ出し、そのパターンを教え込むことができるのではないか、と考えたのです。
細胞の品質を当てるコンピュータ
私たちは、様々な細胞を使って、たくさん「生きている間の状態」を顕微鏡で画像として記録することにしました。
わざとストレスをかけて細胞を痛めつけたときの画像。
分化を誘発して骨になっていくときの画像。
正常細胞の中にわずかにがん細胞をまぜたときの画像。
各条件で、数千枚~数万枚の画像を、自動撮影装置を使って記録しました。
また、撮影が終わると、その細胞の品質がどうなっていたのかを調べます。この時には、データをとるため、と割り切って、細胞を全部破壊して、遺伝子やたんぱく質を測定しました。
これを繰り返すと、「こんな画像のとき、品質はこう」というデータ集団が手に入ります。(専門的には学習データと呼びます)
これを、人工知能の研究などで用いられる機械学習という方法で、コンピュータに教え込むのです。
実際の作業は、コンピュータが学習するためのプログラムをプログラミングで書き、データを読み込ませて計算をさせます。(リアルな作業は、カチャカチャカチャカチャとキーボードを叩き、リターン(解析スタート)!というような感じです)
計算が走ると、コンピュータの中では、画像という大量のピクセルデータと、実験から得られたデータとの関係性を説明する「方程式のようなもの」が自動生成されます。
この方程式が一端できると、画像のピクセルデータを入力するだけで、コンピュータは「こんな実験結果になるはずだよ!」と答えを返してくれるのです。
雲の画像と降水確率を覚えこませると、「画像だけから降水確率を予測」。
動物の写真とその種類を覚えこませると、「写真だけから種類を当てる」。
まさに同じようなイメージです。
たくさんの画像と、その時の細胞品質、というデータをセットで教え込ませ続けたところ、「細胞の分化度合い」「細胞の増殖度合い」「がん化のリスク」「細胞寿命の劣化」などの様々な品質を、画像だけから予測することができることがわかってきました。
さらに驚くことに、人間にはなんの違いもわからなかった「早い時期の画像」から、1か月も先の細胞品質の変化を予測できることがわかりました。つまり、コンピュータは人間を超える目利きの能力を手に入れた可能性が示唆されたと言えます。
まさに、これまで細胞培養の熟練者が行っていた作業(そしてそれを一部超える作業)を、コンピュータに実行させることができるようになったのです。
細胞の観察と品質評価をコンピュータができるようになると、これまで長い培養期間中、「今日も元気かな?」「今日は大丈夫かな?」と心配し続ける必要はなくなります。つまり、培養中の細胞の状態を、自動判定してロボットが代わりに働いてくれることになります。
つまり、人間の作業を大幅に減らし、人件費も、人間の作業のブレも排除した細胞作りの工場が現実的になってくるのです。
また、細胞を破壊してしかわからなかった状態を、画像だけから評価できるようになると、様々な細胞の異常や応答を「写真をとるだけで診断」することができるようになります。
写真をとることはタダですし、とても簡単ですから、ものすごく安く、効率的に、細胞を最高の状態に保つように作ることができるようになるわけです。
私たちの研究室では、この技術をウェブで使えるようなツールとして、より多くの人たちに提供し、世界の細胞作りを効率化・安定化させたいと考えています。
これまで各研究者の頭の中にあった「細胞の形と品質の関係」をネット上の共有サーバに全て集められれば、世界中の研究者の目利きのテクニックを高められるのではないかと思うのです。
私たちがちょっと困ったときにWebで検索するように、細胞の状態を知りたい人たちがWebで検索すれば答えがわかる、というような世の中にできるのではないかと思うのです。
一番の夢は、私たちが開発した細胞品質評価技術を使って細胞を作ることで、「日本の再生医療は品質が良い!」と世界に日本の再生医療技術が広がっていくことです。
「Made In Japan品質の細胞」のようなブランドとして、より安心で効果のある細胞医薬が世界に広がっていってくれたら、と日々願っています。
終わりに
異分野融合のるつぼ:再生医療
私は高校生のころ、なんとなくぼやーっと、医療に携われればうれしいな、と思っていました。ただ同時に、発明とか装置化とかに憧れていたところがありましたので、ただただなんとなく工学部へと進みました。
物理・化学で受験勉強をした私には、未来に再生医療があることも、バイオが何かすらも知りませんでした。
しかし気がつくと、工学部を経て、エンジニアリングやものづくりの楽しさを学びながら、再生医療という「医療」とつながることができました。ここで気付いたことは、医療に関係する仕事というのは、医学部や薬学部とは違う学部からでも道がつながっている、ということでした。
実際、再生医療というのは異分野融合のるつぼです。医師も、材料の研究者も、メカニックの研究者も、薬の研究者も、解析の研究者も、とても広いジャンルの人たちが携わっているのです。
移植の最前線には医学的な知識が、再生のメカニズム研究には理学的な知識が、培養方法の研究には工学的な技術が、それぞれ重要で、お互いに支えあって一つの治療が作られていきます。
また、再生医療が「新しい産業」として期待されている面があるからか、企業研究者、ベンチャー研究者、大学研究者が一緒になって仕事をしているケースがとても多い分野ではないかと思います。
さらに、私たちの研究室が取り組む課題のように、再生医療はまさに今が「発展途上」です。産業革命を越えるための技術が、まだまだ不足していて、たくさんやるべきことがあります。
つまり、再生医療はいろんなバックグラウンドの人達を待っている学問なのではないかと思います。
これを読んでくださった方の中で、一人でも多く、再生医療に興味をもっていただけたなら幸いですし、再生医療のたくさんの課題解決に是非力を貸していただけないかと思います。
新しい発想、新しい研究で、再生医療はより良いものになり、より多くの患者さんを救う技術になっていくと思います。
ここまで読んでいただき、誠にありがとうございました。
この記事や研究内容についてのご感想・お問い合わせは名古屋大学 加藤竜司までお送りください。
またこの記事を読んで、もう少しこの分野について知りたくなった中・高校生の方々は、勇気を出してメールを出してみてください。是非大学に現場を見に来ていただけないかと思います。
名古屋大学で開催される名大祭や、ホームカミングデーも、研究室を訪れていただける良いチャンスかと思います。
(中・高校時代、私はこのテクの重要性をよく気づいていませんでした。自分で本を読むのも大事ですが、良い本を探すのは大変ですし、たぶん人に会って話す方が断然よくわかるのではないかと思います。大学の教員も、昔は中・高校生でした。みなさんのよくわからないなぁ、と思う気持ちと、同じ気持ちだったのですから)
参考文献:
この分野は非常に早く変化していますし、意外と実情が書かれた本は少ない気がします。
下記には、細胞の品質管理について筆者の関連文献を参考までに挙げさせていただきます。
- 紀ノ岡正博(監修):再生医療の細胞培養技術と産業展開 ,CMC出版,ISBN 978-4-7813-0948-4 (2014).
- 佐藤陽治(監修):再生医療・細胞治療のための細胞加工物評価技術,CMC出版,ISBN-13: 978-4781311852 (2016).
- 大政健史,福田淳二(監修):三次元ティッシュエンジニアリング ~細胞の培養・操作・組織化から品質管理,脱細胞化まで~,エヌ・ティー・エス,ISBN 978-4-86043-426-7 (2015).
- 加藤竜司:画像情報処理を用いた再生医療用製品製造工程における非破壊的品質管理技術の開発、生物工学会誌 第96巻 第3号 121–128 (2018).
- 加藤竜司:画像情報解析を用いたiPS細胞培養における品質管理、生物工学 第96巻 第6号 337-341(2018)
- 加藤竜司:Johnson&Johnson Innovation Award受賞講演原稿、再生医療学会誌(2019)5月号 in press.
- Kagami H., Agata H., Kato R., Matsuoka F., Tojo A.: Regenerative Medicine and Tissue Engineering – Cells and Biomaterials, Fundamental Technological Developments Required for Increased Availability of Tissue Engineering, InTech Publisher, ISBN 978-953-307-663-8 (2011)
- Matsuoka F., Takeuchi I., Agata H., Kagami H., Shiono H., Kiyota Y., Honda H., Kato R.: Morphology-based prediction of osteogenic differentiation potential of human mesenchymal stem cells. PLoS One, 8(2), e55082 (2013).
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