畜産から医療への応用展開~胚培養士から見た不妊治療の現状と未来~

初めまして。木場公園クリニックで 胚培養士として不妊症治療に携わっている牛山愛と申します。

基本的に不妊治療では、医師、看護師、臨床検査技師、胚培養士、不妊カウンセラーなど多種多様な専門家がチーム一丸となって治療を進めていきます。

皆さんは胚培養士という職業をご存知ですか?

胚培養士は大学病院や不妊治療を行うクリニックの培養室と呼ばれる専用ラボで、採取された卵子および精子を体外で受精させ移植するまでの一連の培養管理を行っています。

生殖細胞を体外受精させたり、培養したりするような技術は元々家畜生産のため開発されたものなので、獣医、畜産、農学生物系学部を卒業した方々がたくさん胚培養士になっています。

胚培養士は国家資格ではないのですが、希望すれば日本卵子学会「生殖補助医療胚培養士」もしくは日本臨床エンブリオロジスト学会「認定臨床エンブリオロジスト」が認定する資格を取得し、キャリアアップを目指すこともできます。

私は筑波大学生命環境科学研究科で様々な家畜の生殖プロセスに関わる細胞分子メカニズムの解明を卒業研究として、2018年に博士を取得しました。

私自身、胚培養士という職業については大学院入学後、生殖の研究を行う中で初めて知りました。

精子や卵子などの生殖細胞は、体の中にある他の細胞と比べて大きさや機能性で特殊性が高い上、動物種によって代謝や細胞機能が異なります。 そのような細胞たちを体外で操作し新しい命につなげるためには経験と技術力が必要です。

そこで私は、大学院で学んだ生殖メカニズムに関する知識や動物繁殖技術を子供がほしいと望むカップルのために活かしたいと思い胚培養士になりました。

不妊治療技術は日進月歩で向上しているので、日常の治療業務に加えて勉強も継続しなければならず、大変ですがやりがいがあります。

この記事では、一組でも多くの挙児希望を叶えるために、胚培養士の立場から生殖医療が歩んできた進歩の過程と治療技術開発の最前線について紹介させていただきます。


研究背景

日本における不妊治療の現在

日本では限られた国土・資源の有効活用をめざし、効率的な乳、肉、卵などの畜産生産を目的とする家畜繁殖技術の開発が世界に先駆けて行われてきました。

1978年にイギリスで報告された、世界で初めてのヒトの体外受精での妊娠・出産には日本の家畜繁殖学分野の発展が寄与する部分が大きいと言われています。

近年の急速なライフスタイルの変化に伴い、日本では晩婚化・晩産化が進んでいます。一方、女性の生殖能力は20代をピークにして30歳から徐々に減少し、35歳以降では妊娠率の急速な低下と流産率の上昇が明らかになっています。

生殖補助医療で生まれた子供の数は、2005年に2万人で総出生児数のうちに占める割合が55人に1人だったのに対し、現在では年間5万人、およそ18人に1人へと急増しており、不妊治療という言葉は急速に一般化してきました。

年別出生児数(日本産婦人科学会ARTデータブック2017年版より)
(凍結胚移植(FET)、顕微授精(ICSI)、体外授精(IVF)を示す)

不妊症とは?

「不妊」とは、妊娠を望む健康な男女が避妊をしないで性交をしているにもかかわらず、一定期間妊娠しないことを言い、日本産婦人科学会ではこの期間を一般的に1年と定義しています。

実は2015年まではこの定義は2年とされていました。この期間が短くなったことが、不妊症を乗り越えるためには、早期の検査や治療が大事ということを示しています。

不妊治療は、排卵日を予測し、妊娠確率の高い日に夫婦生活をもつタイミング法や男性から採取した精子を女性の子宮に注入する人工授精を含む一般不妊治療高度不妊治療に大別されます。

高度不妊治療に分類される生殖補助医療(assisted reproductive technology: ART)とは、

卵巣から採取した卵子と精子を合わせて体外で受精させる体外受精・胚移植(IVF-ET)

顕微鏡下で卵子細胞質内に精子を微細な針を使って直接注入する顕微授精・胚移植(ICSI-ET)

凍結保存しておいた受精卵を使った胚移植等の不妊症治療法

の総称を指します。

長年、不妊の原因は女性にあるという認識が一般的であり、それは今なお根強く信じられているように感じます。しかし、世界保健機関(WHO)の発表によると、不妊症の原因は

  女性のみ…41%

  男性のみ、男女両方…それぞれ24%

  原因不明…11%

であり、およそ半分の不妊原因が男性にもあることがわかっています。

したがって、妊娠・出産を望むカップルは男女それぞれ不妊症の原因がどこにあるかを検査した後に、年齢や不妊原因に合わせた治療を受けます。

生殖医療が日本で浸透し始めておよそ30年、今日に至るまでにARTの治療を行った件数は年々増加し続け、ARTによって生まれた子供の割合も右肩上がりに増加しています。その背景には基礎研究によって得られた知見の臨床応用や科学技術の進歩があります。

そこで培養の観点から、ART成功率上昇のターニングポイントになったと考えられる技術およびシステムについて紹介します。

進歩した技術・システム

1.受精卵凍結保存法の改良

 1つ目は( 卵子が精子と受精し、体細胞分裂をした受精卵 )の凍結保存技術が発展し、融解後の生存率が格段に向上したことです。従来用いられていた緩慢凍結法では、特殊な機器で冷却速度をコントロールしながら胚を長時間かけて徐々に冷却し液体窒素中(-196℃)で凍結保存していました。

しかし、この手法には

 ①長時間を要する

 ②融解後の生存率が低い

などのデメリットがありました。 そのため、凍結を行わず採卵(受精)後3~5日間培養した胚を子宮に戻す手法(新鮮胚移植)が主流でした。

新鮮胚移植では、排卵誘発剤を用いて卵胞を多く成長させるため、E2(子宮内膜を増殖させる卵胞ホルモン)の値が通常より上昇し、またP(子宮内膜を厚くさせる黄体ホルモン)の値の上昇も通常より早くなります。

そのため子宮内膜が過熟になり、着床に適した環境が整いづらいことが妊娠率の低下を招く一因になっていました。

新たに開発された急速凍結法(ガラス化保存法)は、高濃度の凍結保護剤で処理した後に急速に凍結することで細胞内外の結晶の形成を防ぎます。

急速凍結法の登場により、融解に掛かる時間の大幅な短縮と高い融解後生存率を得られるようになったことから、 受精後5~6日間培養し胚盤胞期まで順調に発育した胚を凍結保存するようになりました。 (デメリット①の解決)

この方法によって、胚の発育能力を確認でき、移植後の胚の発育能力を示す着床率は有意に増加しました。(デメリット②の解決)

もちろん体外の胚培養期間が延びることで、胚がストレスを受ける可能性があります。しかし培養技術の急速な発展に加えて、これらの有用なメリットにより、この手法は現在ではART出生児の4/5を占めるまでになっています。また、日本では多胎妊娠に伴う母体のリスクを避ける目的で原則、単一胚移植(胚を一つだけ子宮に戻す)が推奨され実施されています。

そのため、一度の卵子回収で複数の受精卵を得られた場合には余剰胚を凍結保存しておくことができるようになりました。

これにより、第2、3子を望む際に再度採卵をしなくても済むようになり、不妊症に悩む夫婦の経済的かつ身体的負担が軽減されました

2.男性不妊に対する治療技術の進歩

 2つ目は男性不妊原因の中で乏精子症/無精子症に代表される、自然妊娠が極めて困難であるケースに対して妊娠の可能性が広がったことです。

自然妊娠には精子の数が4000万以上あることが望ましいとされていますが、乏精子症はWHOが定める精子濃度1500万/ml未満、精子無力症は運動率40%未満の状態を指します。

このようなケースには顕微授精(Intra cytoplasmic sperm injection: ICSI)が実施されます。ICSIは細いガラス針に運動精子を1個吸引して卵細胞質内に直接注入する方法で、精子の運動性や機能性の影響を受けやすい体外受精(IVF)に比べて確実性が高く、高い受精率が得られます。

また、通常のICSIでは400倍に拡大して注入する精子が実施者によって選抜されるので、微細な構造異常は検出できませんでした。

しかし最近では、6000倍に拡大し精子の形態をより詳細に確認することで良好な受精卵を作出することを目的としたIMSI (Intracytoplasmic morphyologically selected sperm injection)も行われるようになりました。

また不妊治療においても、微細振動によって透明帯および細胞質を貫通させ精子を注入するピエゾICSIが導入され、卵子にかかる負担が軽減されることから正常受精率が上昇すると報告されています。

ピエゾICSI(院内撮影)

射出精液内に精子が存在しない無精子症は男性の約1%に認められ、従来法では妊娠することは不可能でした。しかし精巣内精子採取術(Testicular Sperm Extraction: TESE)は陰嚢を0.5cm~1.0㎝ほど切開し精巣内の精細管内から直接精子を回収する手法で、その後ICSIに用いることで、受精卵を得ることができます。

さらに最近では体外で受精させるため精液から精子を抽出する方法も徐々に見直されています。

例えば精液と精子の分離には密度勾配遠心法という、洗浄濃縮処理が広く利用されています。しかし、遠心分離をかけることによって精子DNAが物理的ダメージを受けることが指摘されていました。

そこで、精子が自らの運動能力を活かして泳ぎ切ることでその他と選別できる遠心分離を用いない精子調整法が開発されました。この手法は精子DNA損傷率が従来法よりも低く、新たな処理法として注目されています。

3.タイムラプス培養システムの導入

3つ目は経時的胚観察(Time Lapse Cinematography: TLC)が導入されたことです。

従来の胚培養は培養器から胚を1症例毎に取り出して顕微鏡下で発育状況を観察していました。胚は培養器から取り出されると環境の変化にさらされ発生能力の低下を引き起こすため、観察の回数は限られてしまいます。

しかし、TLCは培養器には顕微鏡が埋め込まれており、1つ1つの胚の画像を10分毎に自動で観察することで連続した胚の観察が可能になりました。

このシステムを使用することで、胚の培養環境の安定化が実現できただけでなく、より細かい形態の評価や解析も可能になり、 胚盤胞(受精後5~6日間)への発育率が高くなりました

不妊治療の今後の発展に向けて

しかし、近年の目覚ましい科学技術の発展と臨床への応用をもってしても、全ての夫婦の挙児希望を叶えることはできません。精神的・肉体的・経済的に大きな負担を強いられながら終わりの見えない不妊治療を送っている患者さんがたくさんいます。

そのような患者さんの願いをかなえるために、 現在行われている新たな取り組みを紹介します。

本論

胚着床前遺伝子診断

冒頭で女性の生殖能力は加齢とともに低下することについて触れましたが、最近この原因の一端が染色体異常による胚質の低下にあることが明らかになってきました。

着床前遺伝子診断胚盤胞の栄養外胚葉(TE)細胞(将来胎盤になる部分)の細胞の一部分を採取し、DNAを抽出・増幅して解析することで染色体の特性を調べる方法です。

この手法で胚の染色体異常と着床能力の関係を調べた結果、従来の視覚的に形態から胚の質を判断する手法より、より着床能力を正確に予測できることが明らかになりました。

欧米では広く施行されてきた着床前遺伝子診断ですが、2018年6月に日本においても日本産婦人科学会が着床前遺伝子診断に関する見解を改訂し、臨床的有用性の検討が進められています。

今後は何度ARTを受けても妊娠に至らないケース、流産を繰り返すケース、染色体の構造異常や異数性による流産の既往歴がある患者に対して着床前診断を導入することで、胚移植あたりの妊娠率・出産率が増加し、流産率が抑えられることが期待されます。

再生医療の不妊治療への応用

最近、マウスでは多能性幹細胞(さまざまな細胞に分化する能力を有する細胞)を用いた配偶子(精子や卵)の形成や、配偶子形成メカニズムの解明を通じた個体作製技術の確立に向けた基礎研究が行われています。

マウスの ES/iPS 細胞から始原生殖細胞(生殖細胞のもとになる細胞)を分化させ、雌の胎仔のマウス卵巣の体細胞と再凝集して疑似卵巣を作製します。これらの疑似卵巣を雌マウスの卵巣被膜下に移植することにより ES/iPS 細胞由来の始原生殖細胞は卵母細胞~成熟卵子へと分化します。一方、 ES/iPS 細胞由来の始原生殖細胞は新生仔の精巣と再凝集することで精原細胞になることも報告されました。

https://www.lab.med.kyushu-u.ac.jp/hgs/research/参照にして作成

まだまだ基礎研究および安全性研究が必要な技術ですが、将来TESEでも精子が確認できない無精子症や、自己の卵子を持たない絶対不妊と診断される患者でも子供を授かることのできる時代が到来すると思います。

最後に

臨床業務で日々不妊症に悩む多くの患者と接すると、生殖医療の発展と共に患者への支援の拡大は急務であると感じます。

そのため私たち胚培養士が常に新しい知見を探求・習得し臨床に応用する努力を惜しまないことは大変重要な責務だと考えています。

【参考文献】
厚生労働省人口動態調査データベース  https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/81-1.html
日本産婦人科学会ARTデータブック https://plaza.umin.ac.jp/~jsog-art/
世界保健機関(WHO)https://www.who.int/
一般社団法人日本エンブリオロジスト学会 http://embryologist.jp/special/?id=6300
一般社団法人日本卵子学会 http://jsmor.kenkyuukai.jp/special/index.asp?id=10010
日本産婦人科学会「着床前診断」に関する見解 https://plaza.umin.ac.jp/~jsog-art/201806kenkai.pdf
日本産婦人科着床前診断の実施に関する細則http://fa.kyorin.co.jp/jsog/readPDF.php?file=71/7/071070907.pdf
新版今日の不妊診療:医歯薬出版株式会社,2013(鈴木秋悦編)
安藤寿夫,笠井剛,他:図説よくわかる臨床不妊症学【不妊症治療up to date】(柴原浩章編),中外医学社,2012
林克彦:第22回日本IVF学会学術集会 生殖再生医療の進歩と今後の発展「生殖細胞誘導システムを構築するための動物細胞を用いた前衛的研究」
九州大学大学院医学研究院 ヒトゲノム幹細胞医学分野 https://www.lab.med.kyushu-u.ac.jp/hgs/