犬の腫瘍の発生・進行メカニズムの解明 —犬を通して人の病気を考えるための第一歩—

東京大学大学院獣医学専修博士課程3年の内田萌菜と申します。研究分野は犬の腫瘍です。腫瘍の中にはいわゆる「がん」と呼ばれる悪性腫瘍も含まれており、私は悪性腫瘍を研究テーマとして取り扱っています。

犬にできる腫瘍の中には人にできる腫瘍と似ていることがあります。

一般に、人の病気を犬で研究することには、犬は症状を無理に隠さない、犬種という独特の遺伝的背景を持っており個体差が少ない、管理しやすい、といったメリットがあります。

そのため、犬の病気を研究することで人の病気に関する理解が深まる、と考えられます。犬の病気の研究が進めば、犬も人もハッピーになれる可能性を秘めているのです。

本記事では、犬にも人にもできる腫瘍のうち、私の研究している犬の「組織球性肉腫」という病気について紹介したいと思います。

「組織球性肉腫」とは

組織球性肉腫」という言葉はほとんどの方が聞いたことないのではないでしょうか。組織球という言葉も肉腫という言葉も聞き慣れない言葉だと思います。

「組織球」とは、細菌や異常な細胞を貪食し、体を正常に保つ働きをしている細胞であるマクロファージや樹状細胞のことを指します。「肉腫」とは、悪性の腫瘍のことを指します。
すなわち、マクロファージや樹状細胞からできた悪性腫瘍のことを組織球性肉腫と呼びます。

「組織球性肉腫」はどのような腫瘍なのか

どこにできるのか?

肝臓、脾臓、脳、肺、体表などどこからでも発生し、しこりを形成します。しこりは急速に増大し、簡単に転移していきます。体調が悪くなって病院に来た時にはすでに転移していることが大半です。

組織球性肉腫は治るのか?

残念ながら治ることはありません。抗癌剤や手術で治療されることもありますが、急速に進行するため、半年くらいしか生きられません。

どのくらいの犬が組織球性肉腫になるのか?

犬が腫瘍になること自体あまり知られていませんが、実は犬の死因で一番多いものが腫瘍です。

組織球性肉腫は犬種によって発生率が異なりますが、大型犬(バーニーズ・マウンテン・ドッグやフラットコーテッド・レトリーバー、ゴールデン・レトリーバーなど)で特に多く見られます。

こういった犬種では腫瘍が原因で亡くなる犬のうち約半分が組織球性肉腫に罹患しているとも言われています。

「組織球性肉腫」に関する疑問あれこれ

  • ものによっては数年単位で生きることがある腫瘍もある中で、なぜ組織球性肉腫は進行が早いのでしょうか。
  • 組織球性肉腫は好発犬種、すなわち罹患しやすい犬種が存在することが知られています。なぜ組織球性肉腫になりやすい犬種となりにくい犬種がいるのでしょうか。
  • 多くの治療法が開発されてきている現在、まだ組織球性肉腫の余命を大きく延ばすほどの抗癌剤はできていません。何か新しい治療法に繋がるメカニズムは存在しないでしょうか。

組織球性肉腫の課題解決に向けて

用語説明:遺伝子とタンパク質、腫瘍化

犬種と好発犬種

犬種とは、犬という種の中で、特定の体格や毛質、特質を世代を超えて維持するために、人間が作り出したものです。

例えば、ダックスフントであれば、「胴が長く耳が垂れている」といった外見的な特徴を兼ね備えた犬同士を掛け合わせて子孫を作ります。

例えばダックスフントの特徴を決めている遺伝情報に貧血になりやすい遺伝子が含まれていた場合、ダックスフントという犬種は貧血の好発犬種、ということになるわけです。

犬種の特徴を決めている遺伝子に、ある病気になりやすくなる遺伝子も含まれていることがあります。

SNP、ミスセンス変異

DNAはA、T、G、Cの4種類の塩基から成っている遺伝情報です。

一部は個体ごとに異なっており、その個体の外見や性格などを決定していますが、同じ「犬」であれば、DNAはほとんどの部分が共通しています。

しかし、共通しているはずの遺伝情報の中で、1つの塩基が別の塩基に置き替わっていることがあります。

その置き替わりが1頭だけでなく、ある程度の個体で共通してみられていた場合、それを「SNP」と呼びます。

タンパク質はDNAをもとに生成されますが、SNPの種類によっては翻訳されるアミノ酸が変化することがあります。それを「ミスセンス変異」と呼びます。

タンパク質の発現

ある細胞で特定のタンパク質が作られていることを、「発現している」「発現がある」というように表現します。

また、特定の物質を認識する「抗体」と呼ばれるタンパク質を用いてその物質の発現を確認する手法を「免疫組織化学」と呼びます。

アポトーシス

細胞が自分から死のうとするプログラム死のこと。それに対し、図らずも死んでしまうことをネクローシスと呼びます。つまり、自殺がアポトーシス、事故死がネクローシス。

腫瘍化

細胞分裂の際に何らかの原因で異常な細胞が発生したとき、通常は周囲の正常な細胞により殺されるため、異常な細胞は増殖しません。

しかし、異常な細胞が生き残り、増殖すると腫瘍が発生します。このことを腫瘍化と呼びます。

マクロファージとタンパク質A

組織球性肉腫に関しては分かっていないことがあまりにも多い病気です。その中で、まずは組織球性肉腫がどのようにして発生し、進行するのか、に焦点を絞って探っていくこととしました。

タンパク質A

タンパク質Aとは、マクロファージや樹状細胞から分泌され、マクロファージ自身のアポトーシスを抑制する作用を持つタンパク質です。すなわち、タンパク質Aはマクロファージにとっての不死の薬にあたります。

そのため、マクロファージの腫瘍である組織球性肉腫も、腫瘍細胞自身を生き延びさせるために、タンパク質Aを作り出している可能性が考えられました。

組織球性肉腫とタンパク質A

タンパク質Aがマクロファージの不死の薬だった時に、どのように組織球性肉腫に関係している可能性があるかを考えてみましょう。

1つ目には腫瘍細胞が発生するとき、2つ目には腫瘍が増大する過程で、作用している可能性が考えられます。

腫瘍細胞が発生した時、通常なら速やかに正常な細胞に殺されてしまいます。また、腫瘍が増大している過程では、正常な細胞からの攻撃に加え、内部の酸欠・栄養不足により腫瘍細胞がアポトーシスを起こして死んでしまいます。

こういった細胞死をタンパク質Aが防いでいる可能性が考えられます。

研究内容/組織球性肉腫とタンパク質Aの関係

検証:タンパク質Aは組織球性肉腫に影響を与えるのか

では実際に検証していきましょう。タンパク質Aと組織球性肉腫には何か関係があるのでしょうか。タンパク質Aは腫瘍の発生や進行に影響を及ぼしているのでしょうか。

組織球性肉腫にとってタンパク質Aは悪い物質である

まず最初に検討したのは、タンパク質Aが多量にあると組織球性肉腫の細胞はどうなるのか、ということです。

もしタンパク質Aがマクロファージに対してと同じように組織球性肉腫細胞のアポトーシスを抑制するのであれば、タンパク質Aにさらされると多くの細胞が生き残るはずです。

しかし実際に組織球性肉腫の細胞の培養液にタンパク質Aを添加したところ、予想に反してアポトーシスが引き起こされました

さらに、タンパク質Aを多量に発現する腫瘍細胞と、あまり発現しない腫瘍細胞をマウスに移植したところ、タンパク質Aを多量に発現する腫瘍細胞の方が腫瘍の増大速度が遅いということが分かりました。

すなわち、組織球性肉腫にとって、タンパク質Aは、アポトーシスを引き起こし、腫瘍の増大を抑制する、悪い物質ということになります。

組織球性肉腫は自分を殺すタンパク質を発現する

組織球性肉腫の細胞にタンパク質Aを添加するとアポトーシスが引き起こされました。

通常であれば自分に害のある物質は作らないので、組織球性肉腫はタンパク質Aを発現していないのではないか、と考えられます。
そこで、免疫組織化学を実施し、実際に発現の程度を観察しました。

免疫組織化学というのは、タンパク質Aを認識する抗体を組織にふりかけて、抗体を発色させることで、タンパク質Aがどこにどの程度存在するのかを確かめることができる手法です。

すると、半分くらいの症例では発現がほとんど見られませんでしたが、予想に反して1/3以上の症例で強い発現が見られたのです。

組織球性肉腫では異常なタンパク質が発現している

「タンパク質Aは組織球性肉腫を殺す働きがあるにも関わらず、一部の症例ではタンパク質Aが強く発現していた」これは一体どういうことを意味するのでしょうか。

その原因の1つには、発現しているタンパク質Aが本来の機能を失っている可能性が考えられます。

では、タンパク質が機能を失っているのかを調べるにはどうしたらいいでしょうか。

「機能を失う」にも様々な原因が考えられますが、ここではDNAに変異が入った可能性を考えてみます。実は腫瘍化が起こる時にDNAに変異が入り、正常な機能を失うことはよくあることなのです。

腫瘍細胞から抽出してきたDNAを組織球性肉腫に罹患していない犬のDNAとも比較してみました。

すると、正常な犬ではあまり見られないSNPが腫瘍細胞から多く見つかったのです。

このSNPはミスセンス変異であり、アミノ酸の変化を伴うため、本来の機能を失っている可能性が十分に考えられました。

異常なタンパク質は組織球性肉腫発症前から存在する

さらに驚いたことに、腫瘍細胞から見つかったSNPは、同じ犬の正常な部分から抽出したDNAからも見つかったのです。

これがどのようなことを意味するかというと、腫瘍化に伴い出現した変異ではない、ということです。すなわち、生まれた時からそのSNPを持っている、ということです。

SNPが組織球性肉腫の罹患犬で高頻度で見つかったことから、このSNPがあることで組織球性肉腫を発症しやすくなっているということが示されました。では、組織球性肉腫の好発犬種ではこのSNPが多いのでしょうか?

好発犬種と非好発犬種とでSNPが出現する頻度を比較してみたところ、好発犬種の方が著しく高い頻度でSNPが出現していることが分かりました。

このことは、好発犬種が組織球性肉腫に罹患する一因となっている可能性を示しています。

結果:異常なタンパク質Aは組織球性肉腫を生じさせる

以上の結果をまとめると、

  • 正常なタンパク質Aは組織球性肉腫細胞にアポトーシスを引き起こし、組織球性肉腫の増大を抑制する。
  • 組織球性肉腫の中にはタンパク質Aを強く発現するものがいる。
  • 組織球性肉腫に罹患している犬では元来タンパク質Aにミスセンス変異を持っているものが多い。
  • 組織球性肉腫の好発犬種ではタンパク質Aのミスセンス変異を持った犬が多い

ということが分かりました。

以上のことから、
「タンパク質Aのミスセンス変異がある犬では組織球性肉腫を発症しやすくなっている」
またその場合、「タンパク質Aの本来の作用である『アポトーシスの促進剤』としての働きが失われており、腫瘍の発生や進行に関わっている」
という可能性が示されました。

終わりに

この研究はまだまだ途中です。変異のあるタンパク質Aがあるとなぜ組織球性肉腫を発症するのかもまだ分かっていません。具体的な治療薬の提案にも至っていません。

これからさらなる研究が必要です。

組織球性肉腫に関わらず、その他の病気に関しても、犬でも人でも分かっていない病気は数多くあります。

この記事を読んで下さった方の中に、犬の病気のしくみを研究したい、犬の病気を治したい、犬の病気を研究することで人の病気も治したい、といったことに共感し、研究者を目指して下さる方がいらっしゃれば幸いです。

この研究について詳しく話を聞きたい方、あるいは犬の病気の研究について詳しく聞きたい人は「東京大学 獣医臨床病理学研究室」からコンタクトを取って下さい。

参考文献

Affolter VK, Moore PF. (2002) Localized and disseminated histiocytic sarcoma of dendritic cell origin in dogs. Vet Pathol. 39:74–83.

Dervisis NG, Kiupel M, Qin Q and Cesario L. (2017) Clinical prognostic factors in canine histiocytic sarcoma.: Prognostic factors in canine histiocytic sarcoma. Vet Comp Oncol. 15(4):1171-1180

Miyazaki T, Hirokami Y, Matsuhashi N, Takatsuka H, Naito M. (1999) Increased susceptibility of thymocytes to apoptosis in mice lacking AIM, a novel murine macrophage-derived soluble factor belonging to the scavenger receptor cysteine-rich domain superfamily. J Exp Med. 18;189(2):413-22.

Uchida M, Saeki K, Maeda S, Tamahara S, Yonezawa T, Matsuki N.(2016) Apoptosis inhibitor of macrophage (AIM) reduces cell number in canine histiocytic sarcoma cell lines. J Vet Med Sci. 1;78(9):1515-1520. Epub 2016 May 30.