神戸大学の大学院で政治学の勉強をしていました、佐々木一徳(かずのり)です。細かな研究分野は「批判的安全保障論(CSS, Critical Security Studies)」という分野です。初めて聞く分野だと思いますが、それもそのはず。この分野はとても新しい分野で、日本で研究している人は、数えるほどしかいないのです。
目次
批判的安全保障論(CSS)
「批判的」とは?
批判的とはどのようなことでしょうか。ウェブ上の辞書(goo辞書)で引くと「批判する態度や立場をとるさま。否定的に批評するさま」とあります。普段はあまりいい使い方はされませんね。それではCSSでは何を批判しているのでしょうか。
政治学の分野では伝統的に、人間の行動や、政策などによって起こる出来事・変化を、数字などを使って「論理的」に説明できると考えていました。ちなみに、今、論理的という熟語にカギかっこを付けましたが、それは、かっこの中の言葉に疑問を投げかける時に使うもので、カギかっこの言葉が出てくると、読む時に注意が必要です。
話を戻します。「数字などを使って論理的に説明できる!」という考え方は、一見、説得力がありますが、本当にそうでしょうか?人間というのは、自分にも意識されないけれども、気付かずに育ってきた、隠された考え方や信念などがあるように思います。
皆さんにも経験があるかもしれませんが、皆さんがある行動をとって、その後にとても後悔することがあったとします。その時、「ああ、自分では気づかなかったけど、このように考えていたのかも知れないな」「自分とは全く違う物事の見え方をしている人がいるのだな」などとハッとさせられると思います。
このように、人間は、表には出てこないけれど、隠れた論理や価値観の上に立って、行動し、生きているわけです。それに気付き、研究をする上で目を向けることが重要だ!と思った人たちが、伝統的な考え方を「批判」したわけですね。これが、この分野で使う「批判的」という言葉のあらましです。ただ、ひねくれ者のやっている勉強というわけではありません。
「安全保障」とは?
これでCSSの前半の説明が終わりました。次に安全保障とはどういうことかについて少し考えてみましょう。あまり聞き馴染みのない言葉かも知れませんが、英語のセキュリティなら親しみやすいかも知れません。
セキュリティというと、家の戸締りなどの防犯対策や、コンピュータのウイルス対策などによく使われる言葉ですが、政治学ではどのように使うと思いますか?「公民」の授業で少し習ったかと思いますが、国は「主権」をもち、主権が「領土」「領海」「領空」を守っています。日本では主権は私たち、国民にありますね。
私たちにとっては家の中のものや、データを守ることがセキュリティに当たるわけですが、国にとっては、主権や領土・領海・領空を守ることがセキュリティになります。ですから、国にとってのセキュリティとは、どのように自衛するか?が大きな問いになり、軍事上の問題に発展しやすいのです。
余談ですが、海外の危ないところに行った日本人が「自己責任だ!」として非難されることが度々あるかと思います。皆さんの考え方はそれぞれでしょうが、日本の国にとっては、「主権」すなわち国そのものの1つのピースが危険な状況になると、それはセキュリティの問題になってしまい、のっぴきならない問題になってしまうのです。
これまで、国のセキュリティについて説明してきましたが、政治を考える上で、果たしてそれだけで充分でしょうか?国が守られても、人種差別の問題、いじめの問題、性の問題などで、困っている人はたくさんいますし、国にはそうしたことを解決するためにいい政策を実行して欲しいですよね。このように考えた人たちが、セキュリティの考え方をさらに大きく広げたのです。
つまり、これまでは、国をどう守るかという問いに基づいていたセキュリティの考え方が、「一人ひとりが安全だと感じて、それが続いていく安心感」といった広い考え方になりました。それが、今、最先端のセキュリティ研究の考え方です。
まとめると、CSSとは、「全員が安全で、それを持続させていくためには、数字だけじゃなくて、その裏にある考え方や、一人ひとりの背景を考えに入れて政治を考えよう」という考え方から生まれた新しい学問分野なのです。
僕がこの勉強を始めたのは、先ほど言った、「もしかしたら、僕と全く違うものの見方、感じ方、考え方をしている人がいっぱいいる」という気付きに、とても興味を持ったからです。世界の底に流れる気付かれない論理や背景について考えることってとても面白いと思いませんか?
研究の紹介
さあ、やっと研究についてですね。今回の研究のタイトルは「21世紀の被爆証言を読む」です。今年で、広島と長崎に原子爆弾が投下されてから75年となりました。人類が核のエネルギーを利用して、核兵器や原子力発電所を作り、使い始めてから、「核」は、人類全体のあらゆる問題につなげて考えられるようになってきました。
今回の研究で注目したのは、「被爆証言」です。皆さんの中にも、平和学習の時間などで、被爆証言に触れてきた方も多いのではないでしょうか?今、日本人で、被爆証言に触れたことがないという人は非常に少ないと思います。
タイトルに「21世紀の」と書いたように、21世紀に入ってからの被爆証言の役割は、これまでの、20世紀までの被爆証言の果たしてきた役割とは変化してきたのではないか。このような予想を立て、研究を進めました。
研究をする上で、大事になるポイントは、「なぜこの研究をする必要があるのか?」という点です。僕の場合は被爆者の方々の高齢化という問題がありました。被爆証言は、現在、対面した生の語りかけ以外にも、出版物や、ビデオ、インターネット上など、様々な形で残されています。被爆から75年が経ち、被爆者の方々の新しい証言が生み出されなくなる日が、もうすぐそこに迫っているからです。
つまり、被爆証言の「継承」が大事だと考えられています。被爆証言が果たした役割の変化について研究することは、被爆証言を継承する上で、その「大事さ」を裏付けることができると考えました。
「平和」以外にもある!?被爆証言の役割
今の日本では、被爆証言の役割は、「平和」だ!と疑いなく受け入れている人が多いのかなと思います。しかし、終戦直後の証言集には、平和を訴える証言は、意外にも、少数派なのです。
現在、日本では、平和学習として、被爆者の証言を紐解く教育がさかんに行われていると思います。しかし、実際に家族や親しい友人が一瞬にして死んでしまった、被爆というショッキングな出来事を簡単に乗り越えられるでしょうか?事実、「やり返してやりたい!」「アメリカが恨めしい」といった様々な角度からの証言が、戦争直後には、多くされていたのです。
さらに、やり返す!とか、恨む!とかの強い感情だけでなく、「家族が死んだのに、生きている意味がない」などの、ただただ呆然とした声を収録した証言集も1940年台後半には発刊されています。
被爆者って誰?
被爆証言を考える上で、被爆証言が生み出される過程を丁寧に考えることは大事ですね。まず、被爆証言を生み出すのは、被爆者です。当たり前のようですが、実はこの点がとても複雑なのです。「被爆者」は一般的には、原爆の被害を受けた人という意味ですが、原爆の被害というのは広がりを持った考え方です。
原爆の被害は大きく3つに分けられます。爆風、熱線、放射線ですね。まずは爆風について。原爆の被害というと放射線被害がすぐに思い浮かぶかと思いますが、実はこの爆風が最も大きな被害をもたらしました。半径2キロメートル以内の建物という建物が全て吹き飛んでしまうような大変な被害です。東京の千代田区が丸々なくなってしまうようなものです。
次に熱線です。爆発の瞬間、原子爆弾は250万℃の火の玉となりました。太陽尾の表面温度が6000℃なので、大変なことです。この熱戦は、爆心地付近にいた人間を昇華(固体からいきなり気体になってしまうこと)させてしまい、比較的離れていた人もひどい火傷を負い、皮膚がだらだらと垂れ下がってしまいました。
最後に放射線です。この被害の特徴は持続性です。放射線被害は、将来にわたって被爆者を苦しめました。さらに、場合によっては世代を超えて持続する被害とされています。
以上の3つの主要な被害だけでなく、そこから生まれた差別や偏見なども広い意味では被害です。加えて、原爆の放射能は、国境を越えて、世界に撒き散らされたこともわかっています。そのような意味では、原爆の被害者は全人類ということもできるのです。
被爆者の援護
広がりを持った原爆被害について、前項で説明しましたが、戦後、このような被害に対して補償をしようという運動が高まりました。このことが、被爆者とは誰か?という問題に深く関わってくるわけです。
当時の日本政府の考え方は「戦争の被害の補償はしない」というものでした。これは、戦争は日本人全員が被害を受けていて、補償しきれない上に、「これから新しい日本を皆で作っていくのだから古い政府の責任は負わない」という考え方に基づくものでした。
しかし、原爆被害というのはとても特殊なものです。とはいえ、普通の戦争被害から特別扱いはできない。そこで考え出されたのが「援護」という考え方です。これは、爆風と熱線の被害については、普通の被害と区別ができないから補償はしないけれども、放射線被害については特殊性があるので、援護をしましょうという考え方のことです。
この考え方に基づいて、現在までの被爆者の支援が行われているのです。しかし、放射線被害は目に見えない被害です。被爆者自身もまた、自分がどれだけの被ばくをしたのか分かりません。そこで、原爆の爆心地から2㎞以内にいた人、爆発から数日以内に爆心地に近づいた人などは「被爆者」ということにしましょうとなったのです。
これで、今までなんとなく被爆者と言っていた人たちの輪郭がつかめたのではないでしょうか。ここで注意して欲しいのは、「被爆者」は、後から、色々な兼ね合いの中で人工的に生み出されたということです。
つまり、原爆の被害を受けたと思っているけれども被爆者にはなれない人。もしくは、そこまで大きい被害は受けていないけれども被爆者になった人など、同じ「被爆者」でもその中身は色々な状況の人がいたということです。
被爆証言をするということ
前に、被爆証言を生み出すのは被爆者と書きましたが、実はそれだけではありません。被害を受けた方のご家族の方や、少し爆心地から離れていたから「被爆者」にはなれなかったけれども被害を伝えようとする人など、被害を伝えることができる人はたくさんいます。
しかし、こうした被害を伝えようとする人たちにとっては「被爆者」という肩書きは大きな意味を持ちます。私は「被爆者」ではないし、語るのはやめておこうと思わせるような、なんとなく漂う、語りづらさがあるのです。
皆さんの中にはなぜだろうと思う方もいらっしゃるかも知れませんが、クラスの問題について話し合う場面を想像してみてください。「困っている子がいることは知っている」または、「こんなアイディアがある」けれど学級委員長ではないし、「自分は発言する立場にないな」と感じることはありませんか?担任の先生は「なんでも発言しよう」というけど、「そんなこと言われたって」と困惑してしまうことも少なくなかったと僕は学生時代を記憶しています。
このように、人工的に作られた「被爆者」という肩書きによって、被爆証言を生み出すことにも影響を与える「力」があるのです。こうした「力」もCSSでは「権力」として研究の対象にします。
被爆証言を読むということ
被爆証言をする側のお話を少ししましたが、被爆証言を受ける側のお話もしたいと思います。『「平和」以外にもある!?被爆証言の役割』の項でお話しましたが、被爆証言の中には、「被爆は大変な被害であるから、もう繰り返さないように、平和を築こう」と言ったメッセージ以外にも無数の声があります。
今ではこのような声に触れる機会は少なくなってきましたが、もし、ふと手にとった証言集に復讐心や恨みがいっぱいに書かれていたらどうでしょうか?心がもやもやして、何か「求めていたものと違う」という印象を抱く方は少なくないと思います。
そうした、被爆証言を受ける側のなんとなく抱く期待のようなものにも、被爆証言を生み出すことに影響を与える「力」があるのです。これも日常生活で考えてみましょう。
自分は違う意見を持っているのだけれども、こんなことを言う必要はないかな。とか、こういうことを言うと空気を壊してしまうかな。という気持ちから、話しにくさを感じる経験は多くの人が感じたことがあるものではないかなと思います。
このように、被爆者という肩書きや受け手の期待は、被爆証言そのものに影響を与えているのです。ここから、被爆証言というのは、被爆者がただ生み出すものではなく、被害者を取り巻く状況や人々と互いに影響を与えながら生み出されていくものなのです。このようなことを、学術的には「相互構成的」といいます。
平和を訴える「被爆者」
以上までで、被爆証言といっても複雑な過程をへて作り上げられていることがわかってもらえたかと思います。では、現在では、被爆者の証言はどのようなものになっているでしょうか?
調べた限りでは、現在では、「被爆は大変な被害であるから、もう繰り返さないように、平和を築こう」というトーンのものがほとんどになっているのかなと思います。しかし、この言葉には、これまでに考えた複雑な状況や、ネガティブな感情は覆い隠されてしまっていますね。このことは、しばしば「漂白された被爆者」という言葉で言い表されることがあります。
今回の研究では、この「受け手の受け取り方について、21世紀ではどのようなことになっているのか」について調べました。
「象徴としての広島」論争
有名な国際政治学者の藤原帰一は、「論座」という雑誌に掲載した論文で、広島は平和のシンボルとしての役割があるけれども、核廃絶は無理だ。現実的な核軍縮を進めていかないと被爆証言はただの国内消費用だと指摘しました。「国内消費用」というのは、国際的な平和に結びつかず、仲間内で平和を語るためだけのものという意味だと思います。
これに対して広島の市民運動家たちは、猛反発。広島の平和の願いは核廃絶なくしてはありえない!と反論しました。このことからどのようなことがわかるでしょうか。
藤原は、被爆証言は実質的な平和を創る力を持っておらず、広島を平和の「シンボル」にすることにしか使えないと考えていることが分かります。このような読み解き方をすることで、被爆証言の政治的な力を奪っているということができるのではないでしょうか?
長崎の「政治的発言自粛要請」
2006年、長崎の被爆者講演を取りまとめる団体が、被爆者に政治的な発言をしないように求める文書を発表しました。これは、被爆者の使命は被爆の実相を伝えることで、憲法の問題や政党や宗教の問題など、国民の中で意見が分かれるような問題については発言しないように求めたものです。
この背景には、被爆証言が、小中高など、教育の現場で行われることが多いということがあります。ご存知のように、日本では、特定の考え方に偏らないように注意して教育が行われています。しかし、被爆者の方々にとっては、原爆被害という全人生を変えるような出来事は、その人の信念や政治上の考え方に直結しています。そのことを規制してしまうと、証言そのものの性格がガラッと変わってしまうのです。
このことから、被爆証言が「教育プログラム」になってしまうことで、政治的な力を奪ってしまっているのではないかと考えました。
証言を無視する
最後に日本政府について考えてみます。核廃絶を目指すグローバルな団体のICAN(アイキャン)は、2017年の「核兵器禁止条約」採択への功績を認められて、ノーベル平和賞を受賞しました。ICANでは、日本の被爆者の声を聞き、発信することをとても大事にしており、条約の交渉会議やノーベル賞の授賞式でも被爆者の方にスピーチをしてもらっていました。
実は、日本はこの核兵器禁止条約に批准(賛成して条約に加わること)しておらず、交渉会議も、初めの第1回を途中で退席してから、参加してきませんでした。被爆者の方々は、スピーチの中で、母国の日本が条約の批准をしないことについて、「残念だ」「見捨てられた」「恥ずかしい」などと、強く条約の批准を求めてきました。
日本政府がこの条約の採択やICANのノーベル賞受賞に寄せたコメントでは、「被爆者の、被爆の実相の普及には感謝する」としながらも、被爆者の方々の訴えに関しては、一切反応を示しませんでした。さらに、ノーベル賞の受賞後、被爆者の方々は官邸を訪れましたが、閣僚クラスへの面会はできず、安倍首相へ持参した手紙に返事もありませんでした。
このことから、被爆者の証言や訴えを無視することで、政治的な力を奪っていると考えることができます。
結論
以上3つのケースを考えてきましたが、被爆者の訴えは、平和の訴えとして単純なものに置き換わってしまうこと。さらに、その訴えは、政治的なものが排除されてしまっていることが分かりました。このことを「脱政治化」と呼びたいと思います。
というのも、20世紀後期では、被爆者の訴えは政治的に利用されてきた歴史があるからです。これまでは、政治運動に使われてきた被爆証言が、21世紀に入って「漂白」されてしまい、「脱政治化」されてしまった。これが、「21世紀の被爆証言を読む」ことになっているのだと思います。
皆さんはこれからの時代に平和な世界を築いていくために、被害者の声に、どのように耳を傾けていったら良いと思いますか?このことは僕のこれからの大きなテーマですが、是非皆さんと一緒に考えていけたと思います。
今後の学びに向けて
少し難しく、また大変長い記事でしたが、いかがだったでしょうか?ここまで読んでいただいてありがとうございました。もし興味を持ってくれた方がいらっしゃいましたら、以下の研究者を調べてみてください。
- 創価大学 前田幸男教授
- 武蔵野学院大学 和田賢治准教授
- 三重大学 北川眞也准教授
参考文献
日本語文献
- 浅井基文、安斎育郎(2007)「『広島プロセス』は名実ともに受け容れられない:藤原帰一論文批判」『論座』11月号、朝日新聞。
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- 宇吹暁(2014)『ヒロシマ戦後史:被爆体験はどう受けとめられてきたか』岩波書店。
- 岡真理(2000)『記憶/物語』岩波書店。
- 小倉康嗣(2018)「非被爆者にとっての〈原爆という経験〉:広島市立基町高校『原爆の絵』の取り組みから」『日本オーラル・ヒストリー研究』第14号、23-41頁。
- 竹峰誠一郎(2008)「『被爆者』という言葉がもつ政治性:法律上の規定を踏まえて」『立命館平和研究』第9号、立命館大学 国際平和ミュージアム、21-30頁。
- 竹峰誠一郎(2011)『見えない核被害:マーシャル諸島米核実験被害の実態を踏まえて』(博士論文)。
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- 直野章子(2015)『原爆体験と戦後日本:記憶の形成と継承』岩波書店。
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- 平田仁胤(2012)「戦後日本における被曝体験の継承可能性:若者世代にとっての被爆証言=平和教育のリアリティ」『日本オーラル・ヒストリー研究』第8号、109-124頁。
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被爆証言集等
- 上土井多子(2017)「母は娘たちを被爆者にさせないため原爆手帳の申請を拒否した」創価学会広島女性平和委員会編『女性たちのヒロシマ:笑顔かがやくへ』第三文明社、98-111頁。
- 下平作江(2014)「私の被爆体験:平成19年度『平和を考えるつどい』から」諫早市 [https://www.city.isahaya.nagasaki.jp/post06/2215.html] 最終閲覧2019年12月26日。
- 日本原水爆被害者団体協議会編(1988)『原爆被害者調査資料集(Ⅰ-Ⅳ)』(「あの日」の証言(その1-2)、被爆者の死(その1-2)あの日から昭和20年末まで)。
- 日本原水爆被害者団体協議会、ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会編(2015)『ヒロシマ・ナガサキ 被爆70年 2015年NPT再検討会議へ向けて被爆者からのメッセージ:被爆者と若い世代の共同作業による「聞き書き」から』。
- 長田新編(1990)『原爆の子』(上・下)岩波文庫。
- 日本原水爆被害者団体協議会編(2009)『2010年NPT再検討会議に向けて 被爆者からのメッセージ』《抜粋版》。
- 日本原水爆被害者団体協議会、ノーモア ヒロシマ・ナガサキ 国際市民会議第4分科会Ⅱ「わたしの訴え」作業グループ編(2009)『いまだから伝えたい 被爆者からあなたへ:被爆60年「わたしの訴え」中間報告』。
- 広島市民政局社会教育課編(1950)『原爆体験記』広島平和協会(=広島市原爆体験記刊行会編(1975)『原爆体験記』(朝日選書42)朝日新聞出版。)。
- 「平和文庫シリーズ」(2010-)日本図書センター。
- 2019年8月18日に長崎市内にて被爆者であるMさん(1939年長崎市生まれ)にインタビュー。被爆関連施設を回りながらお話を伺った。
インターネットページ
- インタビュイー:中満泉、インタビュアー:根本かおる(2017)「中満泉(なかみつ・いずみ)国連軍縮担当上級代表インタビュー」『国連広報センター ブログ』国連広報センター [http://blog.unic.or.jp/entry/2017/09/29/172214] 最終閲覧2020年1月10日。
- 創価学会(2017)『核兵器無き世界への挑戦』 [https://www.sokanet.jp/recommend/201708-gensuikin60/] 最終閲覧2019年12月18日。
- 長崎大学 核兵器廃絶研究センター(RECNA)(2019)「核兵器禁止条約 署名国」 [http://www.recna.nagasaki-u.ac.jp/recna/database/condensation/tpnw/signature] 最終閲覧2019年12月18日。
- 「結成宣言=世界への挨拶」(1956)日本原水爆被害者団体協議会 [https://www.ne.jp/asahi/hidankyo/nihon/about/about2-01.html] 最終閲覧2019年12月27日。
- 「紹介」日本被団協 [https://www.ne.jp/asahi/hidankyo/nihon/about/about1-01.html] 最終閲覧2019年12月25日。
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- 「『日本が核兵器禁止条約に賛同していないことは胸が潰れる思い』サーロー節子さん」(注目の発言集)(2018)『NHK政治マガジン』 [https://www.nhk.or.jp/politics/articles/statement/11831.html] 最終閲覧2019年12月25日。
その他文書等
- 『祈りの言葉』(2018)広島県宗教連盟。
- 長崎県民主医療機関連合会(2006)「被爆体験の継承についての『政治的発言自粛要請』の撤回を求める要請」。
- 長崎原水爆被害者団体協議会(2006)「公開質問状」。
- 被爆体験の継承を考える市民の会(2006)「長崎平和推進協会の被爆体験証言者への被爆体験講話での『政治的発言の規制』問題についての要請書」。
- ベアトリス・フィン、サーロー節子(2017)『核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN) 2017年ノーベル平和賞受賞講演』。
- サーロー節子が2018年12月6日に西村内閣官房副長官に手渡した安倍総理大臣宛の手紙。
英語文献
- Hall. Stuart. (1980) ‘Encoding/decoding.’ “Culture, Media, Language” New York: Routledge, pp.128-138.
- Morley, David. (1992) “Television, Audiences and Cultural Studies” Routledge (=デビッド・モーレー著、成美弘至訳(2000)「テレビジョン、オーディエンス、カルチュラル・スタディーズ」、吉見俊哉編『メディア・スタディーズ』(serica archives)せりか書房).
英文インターネットページ等
- Hawkins, Dimity, Dave Sweeney, and Tilman Ruff. (2019) ‘ICAN’s Origins: From little things, big things grow…’ ICAN [https://www.icanw.org/ican_origins] 最終閲覧2020年1月6日。
- United Nations Treaty Collection [https://treaties.un.org/pages/ViewDetails.aspx?src=TREATY&mtdsg_no=XXVI-9&chapter=26&clang=_en] 最終閲覧2020年1月10日。
- ‘Setsuko Thurlow’ ICAN [https://www.icanw.org/setsuko_thurlow] 最終閲覧2020年1月10日。
- ‘Setsuko Thurlow, survivor of nuclear bombing of Hiroshima’, “YouTube” ICAN [https://www.youtube.com/watch?v=LudlDr8H1ok&feature=youtu.be] 最終閲覧2020年1月10日。
- ‘The Nobel Peace Prize 2017’ Nobel Media AB 2020 [https://www.nobelprize.org/prizes/peace/2017/press-release/] 最終閲覧2020年1月6日。
- ‘The road to a world free of nuclear weapons’ ICAN [https://www.icanw.org/history_of_the_tpnw] 最終閲覧2020年1月10日。