名古屋大学大学院 医学系研究科 総合医学専攻 博士4年(医学系・薬学系大学院は4年制), 根岸玲奈です. 2019年現在, 環境労働衛生学という研究室に所属しており, 特殊な音が生体に及ぼす影響について研究しています.
「衛生」という言葉を聞いたとき, 多くの人は「漠然とキレイな状態」「汚れていない, ゴミがない環境」といった状態を思い浮かべるのではないでしょうか.
実は「衛生」という言葉は単に清潔な状態を示すだけの言葉ではないのです. この記事では, 広く衛生・衛生学という学問についてと, 私が研究対象にしている音と生体の関係について触れていきたいと思います.
前半は衛生学や健康に関する概念的な説明になるので, 環境労働衛生学研究室に関する具体的な情報を知りたい人は「衛生学の研究」及び「おわりに-衛生学が求める人材」を読んでいただければと思います.
目次
はじめに
Hygiene:衛生という概念が生まれたのは紀元前, 古代ギリシャの時代まで遡ります.
医聖として知られるヒポクラテスが, 疾病の原因を環境因子(空気, 水, 土地)との因果関係として記録しました.
後のGalenusが, ギリシャ神話の健康を司る女神Hygeniaに因み, この疾病の原因に関する学問にHygieneと名付けたことが衛生学の始まりだと言われています.
今日では衛生の概念はより発展し「人間が肉体的・精神的な健康を保ち, 健康な状態を増進させること」と定義され, これを実現されるための科学が衛生学です.
さらに, アメリカの公衆衛生学者であるWinslowは公衆衛生を「組織された地域社会の努力によって疾病を予防し, 生命を延長し, さらに肉体的ならびに精神的機能を増進することである」と定義し,衛生的な状態を地域社会の営みのもとに達成するという概念を導入しました.
ここで言う「組織された地域社会」というのは地方自治体, 及び国などの行政と言い換えることができます. 2019年時点で30歳未満の日本国民は特別な事情がない限り, 国が制定した通り小児期に麻疹のワクチンを接種しているはずです.
受験前にインフルエンザワクチンを接種した学生も多いでしょう. 感染リスクに怯える事のほとんどない現代の私たちの生活は, 実は衛生学の土台の上に成り立っているのです. 1, 2
生を衛る= 衛生
「疾病を予防・治療し, 常に健康でいたい」衛生の概念は一見誰もが持っている当たり前の要求のように思えます.
しかし, この学問が活用されなかった時に何が起こったかはヨーロッパにおけるペストの大流行(当時の人口の約1/3が死亡)や高度経済成長期の日本で発生した四大公害を見ても明らかです.
一方, 衛生学が市民および行政によって活用されなかったがために生じた事例は現代にもあります.
反ワクチン運動が盛んな地域に目を移すと, 年間に何千人もの人が麻疹に感染し, 救われるはずだった乳幼児の死亡数が他の地域よりも多いことがわかります.
奪われるのは人の命だけではありません. 予防可能だったはずの病気の感染範囲が拡大することで, 大きな経済的損失にもつながるのです.
言い換えると, 集団感染が発生すると全ての感染者に対して個別の治療費がかかることで国費に膨大な負担が生じますが, 予めワクチンを接種することにより集団免疫効果を発揮させれば, 治療に必要となる多額の支出を抑えることが可能となります.
実際に米国では, 小児期のワクチン接種によって直接費で140 億米ドル, 間接費で690 億米ドルの費用削減が達成されると試算されています.3
そのため, ほとんどの先進国では産業革命以降に発生した公害の歴史から得た学びを活かし,労働者や住民が有害物質に曝露されないようにするための社会システムが行政と企業に組み込まれています.
このように, 衛生学を基盤として多くの国が国民の健康を守り, 同時に経済的な発展も可能にしてきました. ほんの数例を挙げただけでも衛生学が科学として発展することが人類にとっていかに重要だったかがわかりますね.
衛生学における「健康」
健康と不健康
具体的な研究内容に入る前にもう1つ, 衛生学において非常に重要な健康という状態の捉え方について考えてみましょう.
健康とは単に病気でない状態のことを言うのでしょうか?病気にはかかっていないけれどもなんだか調子が悪いという日は誰にでもあると思いますが, そのような状態は健康といえるでしょうか?
また, 年を取れば誰でも体の各器官の機能が低下しますが, それは不健康なのでしょうか?
現在の世の中には健康に対する捉え方は大きく分けて2つあります.
「完全に健康な状態」が存在するという前提のもとに, そうでない状態を「不健康」とする絶対的な考え方と, もう一方は単に健康とそうでない状態をはっきりと区別してしまうのではなく, 人間は常に「健康と健康破綻を両極とする連続体」の上を行き来しているとする相対的な考え方です.
どちらか一方だけが正しいという事ではありませんが, 今のところ, 世界では完全に健康な状態というものが存在するという前提を持つ「絶対的な健康」が主流です.
なぜなら1948年にWHOが「健康とは, 病気でないとか, 弱っていないということではなく, 肉体的にも, 精神的にも, そして社会的にも, すべてが満たされた状態にあること」と定義し, それが今も主流な考え方となっているからです.
このWHOの定義はもっともらしくもありますし, 感染症や急性疾患といった完全に健康な状態に治る見込みのある疾病が主だった時代においては, この定義が医療の発展や普及に一定の貢献をしてきました.
しかしながら, 少し立ち止まって考えてみると, 健康を「完全な健康」と定義し, 健康な状態に回復させるのが医療であるとした場合, 「完全な健康」を取り戻せない医療措置は無意味なのでしょうか?
具体的な例を挙げると, 治る見込みのない疾病(慢性疾患や老化, ある種の癌など)を持つ患者に施す医療は全く価値の無いものなのでしょうか?
もっと身近な事象に例えると, 期末テストで全て満点を取るのは理論的には可能ですし, もし実現出来たら素晴らしいことです. ですが, 5教科全て満点でなければ望ましくなくて, どう頑張っても満点を取れない人は勉強や教育を受ける価値がないのでしょうか?
そうではなく, どのレベルの人でも自分の現在の実力を基点として, そこから上を目指して勉強し教育を受けることが最も望ましい姿だ, とする考え方の方が私たちの実感に近いですよね.
医療の話に立ち返ってみましょう. 現代では慢性疾患や加齢による肉体的機能低下とうまく付き合いながら生きていくことが一般的になりました.
それに伴って, WHO が提唱した絶対的な健康観よりも, 人生のなかで絶えず変化する身体的・感情的・社会的課題に自律的に対応する人間の能力や, 慢性疾患や障がいを持っていながらも満足感や幸福感を抱く人間の能力の方が, より重要視されるようになってきています.
このように, ヒトは常に<完全な健康でも不健康でもない中間領域>に居るということを前提とする新しい健康に対する概念を相対的な健康観ということができるでしょう.
これまで述べてきた絶対的および相対的な健康観を総合的に考えると, 下図のように表すことができるでしょう.
絶対的な健康観においては, 健康とは精神・身体・社会的に完璧に健康な状態にあることを指し, たとえ生物に避けられない機能不全(老いなど)であっても, 完璧ではない状態は全て半健康~病気であるとして考えられます.
一方, 相対的な健康観においては精神・身体・社会的な健康度合いを示す3つの軸は個々人の状態によってそのスケールや起点が変わってきます.
老人も肥満している人も障がいを抱える人も, それぞれの基点から健康な状態を目指すことが健全な姿勢であるとされます.
この, 単に疾病を治療するのではなく, どのような状態にある人でも, より健康である状態を目指す取り組みの事を健康増進と呼んでいます. 4
さて, これまで見てきたように, ヒトを健康にするためには治療・予防・健康増進の3つのアプローチがあります. 衛生学分野では, 主にこの3つの方向性で研究することが多いです.
健康を損なうものは何か
人を健康増進とは反対の方向に向かわせるものは主に疾病の発生です. なので, 衛生学も必然的に疾病に関する研究をすることになります.
疾病の発生原因は単に病因の有無を考えるだけではとらえきれません. 病因に加えて, 遺伝背景や身体的特徴である宿主要因と人体の外部環境である環境要因の3つが複雑に関連し合って疾病が発生すると考えられています.1, 2
つまり, 環境要因と宿主要因のそれぞれを対象にして研究し, その結果を俯瞰的にとらえることが衛生学の研究において非常に重要なアプローチです.
衛生学の研究
前章でお話ししたように, 人間の健康状態に(良くも悪くも)影響し得る要因を特定するためには, 以下の2つの視点から宿主要因と環境要因に対して科学的なアプローチをかけることが必要です.
①要因Xが実際の人間にどのように影響しているかを, 人間(=宿主要因)と周りの環境(=環境要因)の全てを加味して評価する, 帰納法的研究
②要因Xによって引き起こされる症状/状態がどのようなメカニズムで, どのような段階を経て示されるかを, 宿主要因と環境要因を一つ一つ精査して評価する, 演繹法的研究
①のような, 実際に生きるヒトを対象とした調査研究を疫学研究と呼びます. 疫学研究では, 要因Xが人体において最終的に引き起こす症状と, その症状の治療・予防法の模索を主に行います.
②のような手法では細かいメカニズムの解明はできますが, ヒトで実験するには倫理的な限界があるため, 主に実験室で細胞や実験動物を用いて調査します. これを実験的研究と呼びます.
衛生学の最終的なゴール「人間の肉体的・精神的な健康を保ち, 健康な状態を増進させること」を実現するためには, 要因Xが引き起こす現象のメカニズムの解明と, 実際にどのような特性を持つヒトにおいて, どのような症状として現れるか, 及び, 治療・予防法の模索が必要です.
つまり, 疫学研究と実験的研究の両方からのアプローチが必要となります.
環境労働衛生学
日本では, 疫学研究と実験的研究のどちらか一方のみを主に扱う研究室が多くを占めていますが, 私が所属している環境労働衛生学ではこの2つのアプローチを両方とも扱っています.
つまり, 一つの研究室の中で疫学研究と実験的研究の両方を手掛けることで, メカニズムの解明から, 研究成果の人間社会への還元までを一気に行うことができるのです.
このスキームによって得られている当研究室における研究成果の具体例をご紹介します.
疫学研究と実験研究の合わせ技:バングラディシュにおける事例
2015年に国際サミットで採択された「持続可能な社会を実現するための国際目標」であるSDGsの一つに挙げられているように, 安全な生活用水の確保は21世紀の現在においても世界的に重要な課題です.
人体の約80%は水分で占められているため, 各臓器の恒常性を維持するためにも安全な水を使用することは極めて重要なのです.
汚染された水が原因の公害は世界各地で発生しており, 日本においては神通川のカドミウム汚染により発生したイタイイタイ病, 熊本県水俣市の水俣湾, 及び新潟県阿賀野川などの水銀汚染による水俣病が, 世界ではメコン川のヒ素汚染(カンボジア)や横石水河の鉛, カドミウム汚染(中国)による循環器障害やヒ素中毒なども発生しています.
このように, 重金属による水質汚染は人間の健康にとって非常に危険なものであり,汚染された水域はできる限り早急に浄化されるべきです.
発展途上国では, かつての日本のように経済的成長を重視するあまり環境汚染への対策が遅れてしまうことがあります.
例えば, 革産業を得意とするバングラディシュでは, なめし革加工工場から排出されるクロム汚染水による環境汚染が問題視されています.
バングラディシュの首都ダッカでは, クロムなど有害な重金属を含む7,700万t/dayもの工業廃水がなめし革工場から周辺河川に排出されていると言われています.
この工場の労働者や周辺住民は, 工業排水に含まれる重金属に曝露されている可能性が高いにもかかわらず, なめし革工場周辺の環境調査や住民の健康状態の調査, 及び汚染水の浄化対策などはほとんどされてきませんでした.
そこで, 当研究室が行ったのが(i)なめし革工場の排水と工場周辺河川の水質調査, (ii)含まれる汚染物質の健康リスクの解析(ヒトの細胞に及ぼす影響の解析), (iii)汚染水の浄化方法の模索です.
(i)の調査結果として, 毒性が低いとされている三価クロムと毒性の強い六価クロムが汚染水中に混在しており, 単体としての濃度は基準値以下ではありますが, 総体としてみた時には基準値を超えてしまっていることが分かりました.
三価クロムと六価クロムの単体での毒性はこれまでに沢山調べられてきましたが, 実はこの2種類のクロムを混合した時の毒性は誰も評価したことがありませんでした.
そこで, 当研究室が世界で初めて(ii)三価及び六価クロム混合汚染水の毒性評価をin vitro(実験動物を使わない実験系)で評価しました.
その結果, 単体では毒性を発揮しない濃度の三価クロム及び六価クロムを混ぜることによって, 発がん毒性を発揮するようになることが明らかとなりました.
これは大変危険な状況で, 単体での濃度が基準値以下なので安全だろうとされていた水が実は人体に害を及ぼす可能性が高かったわけです.
そこで(iii)安価で, 安全に汚染水を浄化する方法を当研究室で模索しました. その結果, 胃薬にも使われている安全な化学物質MF-HTを用いることで三価及び六価の両方のクロムを効率よく除去できることが明らかとなりました.
これらの研究成果は論文としてすでに出版されているので, 興味のある人はぜひ読んでみてください(10.1016/j.chemosphere.2018.03.026).5
まとめると, 当研究室で確立されたクロム除去方法の社会実装はまだこれからという状況ですが, 環境に対する疫学研究(水質調査)と実験研究(in vitro)を組み合わせることで社会に対してより価値の大きい研究成果を提供することができるということを感じていただけたのではないでしょうか.
私の研究について
これまでにご紹介した話をまとめると, 衛生学の研究対象は下図のように分類することができます.
現在私が研究対象にしているものは, この表の中の下半分である疾病機序の解明と予防の部分に当たります.
具体的には, 音刺激が生物に与える影響を, そもそもその影響は本当にあるのか, といった基本的な視点から解き明かすことを目的としています.
音– ヒトのブラックボックス
病気や医療的行為が呪術の類と不可分だった古代から, 音楽と人の心身の関係は認識されていました.
例えば, シャーマンやメディシン・マンなどの呪術師は音楽に治療や癒しの効果を見出していましたし, 旧約聖書にはハープの音色がうつ病的症状に効果があったとする記述もあるそうです.6
一方, 現代においても, 様々な形で大勢の人が音楽を楽しんでいますよね.
異なるHz(周波数)とdB(音量)の音が組み合わさって生み出される複雑な旋律が聴く人の心を躍らせ, 時には千人を超える大勢の聴衆の心に一体感さえも生み出すことは, ライブや音楽フェスといった現場に行ったことがある人はよくご存じかと思います.
このように音楽が人の心・精神に影響を及ぼすことは経験的には明らかなように感じられますが, その関係を客観的に記述した報告は非常に少なく, 効果のメカニズムにも不明な点が多いです.
音がヒトの心身に及ぼす効果/影響に関する最新の情報がWHO(世界保健機関)からも報告されています.
WHOによると, 聴覚障害を持つヒトは全世界に4億6600万人(世界全人口の5%以上)にも上り, このうち3千万人以上が子供であるとされています.
WHOの推定によると, 2050年には世界の聴覚障害者9億人を超え, 主に治療費の増加により年間7500億ドルもの損失を生むと試算されています.
世界的な聴覚障害者増加の理由として, スマートフォンやオーディオプレーヤーなどの普及が挙げられます.
こういった音響機器などで大音量の音を長時間聴くことで聴覚障害が引き起こされるため, WHOは世界の12~35歳の若い世代の半数に近い11億人が難聴になるリスクがあると警告しています.
また, 一度聴力を失うと今の医学では完全に元には戻せないため, WHOは若いうちからの難聴予防対策の重要性を強調しています.
その警告と同時期に, WHOが国際電気通信連合(ITU)と共同でヒトの健康と音に関する国際基準を策定しました.
その基準によると, 聴覚障害にならない安全な音のレベルの目安は大人で80 dB(例:ゲームセンター, パチンコ店の店内), 子供は75 dB(例:走行中の電車内)をそれぞれ1週間に最大40時間とされています. 7
一方, 強大音を長時間聴いていると聴力が低下する(あるいは失われる)原因としては, 音を感受するための重要な感覚細胞である有毛細胞がストレスにより死んでしまうため, ということは明らかになっていますが, 細胞死に至るまでのメカニズムには不明な点が多く残されています.
このように, 音が心身に与える影響について経験的あるいは直感的には理解できそうですが, 意外にもその具体的なメカニズムについては未だ明らかにはなっていません.
音とヒトとの間に横たわるブラックボックスの中身を明らかにすることは, 医療あるいはエンターテイメントを含めた様々な分野への大きな貢献になるといえるでしょう.
低周波騒音– 聞こえにくいけど影響大!?
私が研究している「低周波騒音」は100 Hz以下の周波数帯(和太鼓やベースなどが発する重低音)の音です. 前述のように, 周波数を限らない, 音量だけに関する研究は今までにも行われてきました.
一方で, 低周波騒音のような周波数特異的な音がヒトに与える影響に関する客観的・科学的な調査は今までほとんどされてきませんでした.
実は, 「低周波騒音」は車や冷蔵庫, エアコンの室外機など日常生活で使用する電子機器から多く発せられるため, 私たちの身の回りにありふれている音なのです.
また, 工場や工事現場などの事業機器からも85 dBを超える強大な低周波騒音が発生することが分かっています.8つまり, 程度の差はあれど, 日常生活と労働環境の両方において低周波騒音に曝露されている人は多くいるのです.
近年, この低周波騒音によって不眠やめまいが引き起こされたと訴える人が年々増加していますが, 困ったことにこの音に曝露された全ての人がそのような症状を示すわけではないのです.
実験室で使用するマウスなどとは違い, ヒトはそれぞれ異なる遺伝的背景と生活様式を持っています.
そのため, 例えば同じヘビースモーカーでも肺がんに早くからなる人と年を取ってからなる人がいるように, 非常に個体差が出てしまいます.
このような理由で, 現在においても低周波騒音が本当にヒトにめまいや不眠を引き起こす原因なのか, 疫学研究及び実験研究の観点からも不明な点が数多く残されたままとなっています.
そこで, 環境労働衛生学研究室では, (i)低周波騒音により引き起こされる疾病の有無, (ii)その疾病のメカニズムの解明, (iii)疾病を引き起こさないための閾値, 基準値の模索や効果的な防音装置, および(iv)治療・予防法の開発を目的に, 低周波騒音を実験動物(主にマウス)に曝露する実験を行っています.
これまでに当研究室で行われた研究によると, 低周波騒音(100 Hz, 70 dB)を4週間曝露することにより, マウスに平衡感覚障害(広義のめまい)が引き起こされることがわかりました.9, 10
また, 平衡感覚を司る前庭という器官の中にある有毛細胞が低周波騒音曝露後にほとんどなくなってしまっているという, 低周波騒音誘導性の平衡感覚障害の大まかなメカニズムも明らかとなりました.
以上の研究成果から, 低周波騒音が原因となってめまいが引き起こされるという仮説が考えられます. 現在は, これまでの研究成果をもとにして, より具体的なメカニズムの解明に取り組んでいます.
また, 疾病を引き起こさない閾値・基準値の探索として, 音量や曝露時間の違いによって症状が引き起こされるかどうかや, ヒトにおける疫学研究, 予防・治療法の開発についても検討を進めています.
おわりに-衛生学が求める人材
さて, 長くなってしまいましたが, 以上で私が携わっている研究分野・研究内容の紹介を終わります.
衛生学は, 特定の疾病を研究対象とする他の医学系研究室と少し異なり, 疾病の要因から人間社会への研究成果の還元まで, 研究対象とする範囲が広いことを実感していただけたかと思います.
そのため, 医学といえども医・生物学を学んだ人だけでなく, 化学, 薬学から物理学など多彩な知的背景を持つ人たちが衛生学系の研究室では活躍しています.
医学・生物学以外を専攻しようとしている(あるいは専攻している)方でも, 「もっと実際の社会問題と関わりの深い研究をしたい」「自分の研究成果が社会実装されるまでの距離が近い研究をしたい」という想いを持っている人はぜひ一度衛生学系の研究室を訪れてみてください.
今一度研究室の紹介をさせていただくと, 名古屋大学大学院医学系研究科の環境労働衛生学研究室では「病気を発症する前のヒトを対象にして, 環境を整えることで病気を予防する研究」を実践しています.
環境を整えて病気を予防するには, 医学だけでは全く不十分で, 環境学・環境化学・環境工学・理学・農学・生命科学といった幅広い分野の知識・技術が必須になります.
ですから, 環境労働衛生学研究室では, 医学以外の専門性を持つ学生さんが十分に活躍する場を提供することができます. さらに, 現在の環境労働衛生学研究室には, 多種多様な知識・技術を持つ先生(指導者)がそろっております.
このような名古屋大学の環境労働衛生学研究室の多様性・総合力を理解し, 多種多様な専門性を持つ学生さんに, 興味を持っていただくことができれば, とても嬉しく思います. 詳細は名古屋大学 環境労働衛生学研究室 をご覧いただけますと幸いです.
参考文献
- 大井田隆, 兼板佳孝, 横山英世. Qシリーズ新衛生・公衆衛生学第6版, 日本医事新報社, 2012.
- 佐谷戸安好, 中室克彦. 最新公衆衛生学第3版, 廣川書店, 2004.
- Zhou, F. Updated economic evaluation of the routine childhood immunization schedule in the United States. Presented at the 45th National Immunization Conference.Washington, DC; 2011, The Value of Vaccine
- 生命倫理百科事典翻訳刊行委員会, 生命倫理百科事典, 丸善出版, 29-32, 2007
- Yoshinaga, M., Ninomiya, H., Al Hossain, MMA., et al. A comprehensive study including monitoring, assessment of health effects and development of a remediation method for chromium pollution. 2018. Chemosphere 201, 667-675.
- 小林俊恵, バイオメカニズム学会誌, Vol. 30, No. 2, 2006
- A WHO-ITU standard
- Berglund, B. and Hassmen, P. Sources and effects of low-frequency noise. 1996. J. Acoust. Soc. Am 99, 2985-3002
- Tamura, H., Ohgami, N., Yajima. I., et al. Chronic exposure to low frequency noise at moderate levels causes impaired balance in mice. 2012. PLoS One 7, e39807.
- Ohgami, N., Oshino. R., Ninomiya, H., et al. Risk Assessment of Neonatal Exposure to Low Frequency Noise Based on Balance in Mice. 2017. Front. Behav. Neurosci 11, 30.